それでも、楽しかったから良しとしよう。
10年振りの、初めての青い空
「…ん?なんだ?」
ご隠居のところにお邪魔して、一晩泊めてもらった。
朝食は、お雑煮とお節。
お手伝いさんが腕を振るったそれは、俺の馴染みの味ではないけれど美味しかった。
哲平は陽気に食べてたけど、もしかしたらそんなに好みの味じゃないのかもしれないなあ。
昼食も、軽めに振る舞ってもらった。
好みじゃないというか、やっぱり正月料理って文化圏の問題があるし。
関西風のとかあるのかも。
ってそうじゃない。
昼もだいぶ過ぎて、ご隠居から頼まれて、物置に探し物をしに来たんだけど。
それを抱えて戻る途中、目に付いた廊下の棚。
手を伸ばして、目当てを手に取る。
少女らしい絵の描かれた、羽子板と羽根。
そっか、昨日俺が忘れたのか。
30日は、セクンドゥムの大掃除、31日はご隠居の屋敷の大掃除を手伝った。
まあ、自分の家は基本的に片づいてるし、あとたまにしかやらないところは12月に入ってから少しずつやっていたし、問題はない。
なんとなく、年末は自分の家に構ってられないんじゃないかとは予想していた。
大きな家の大掃除は、本当に大事なんだと実感した。
物置の中の整理とか、埃を払ったりとか。
箱のひとつは女の子の玩具を詰めたもので、箱の蓋がずれていた。
なんとなく、珍しいからと手にとって眺めた。
そのあと呼ばれて、つい手近な棚の上に置き去りにしたまま、年を越したんだろう。
「大掃除し切れてないだろ、俺…」
むしろ、片付けるものを増やしてどうする。
すぐ片付けようかとも思ったけど、正月らしいものだし。
少しだけ風に当てるのも悪くないよな、って思って居間についでに持っていった。
「おー、恭ちゃんおかえり」
「…埃っぽい」
居間にいけば、背を丸めてこたつに入ってる哲平と、珍しく起き出していてお屠蘇を口にしてる成美さんと。
…お屠蘇は、確かアルコール飛んでるよな、体にいいんだよなそうだよな。
正月からちょっぴりいろんなことを危惧しつつ、羽子板をこたつにおいて俺も暖まりに腰を下ろした。
「あ、オレこんなん初めて見た。飾りもんの使えんような分厚いのは見たことあるけどなー」
「ああ、なんか人形が半分浮き出てるようなやつ?押し絵の」
「そや、あれで殺人スマッシュとか打ってもうたら、夜な夜なうなされそうやんなあ?」
「打つなよ」
両手をこたつの中に突っ込んで、手を摺り合わせながらバカ話。
その間に、成美さんが羽子板をつまみ上げている。
「じじいも、何考えてこんなもん買ってきたんだか」
そう、当然この家にある玩具は全部成美さんのもので。
先代から伝わる、ほどではない様子のこの羽子板は、成美さんへの贈り物だろう。
「あたしが外出るわけないし、大体ひとりでこんなもんどうしろってのよ」
確かに、ひとりでするものではないけれど。
「まあ、ダメもとで、なんやったらご隠居相手するつもりやったん違います?」
幼い孫娘と、室内ではねつきっていうのも微笑ましいと言えば微笑ましいか。
「イヤよ、なんであたしがそんなことしなきゃなんないわけ。第一疲れるじゃない」
うん、ただ幼い孫娘が成美さんだったってだけで。
第一の理由が『疲れる』っていうのも、成美さんらしいんだけど、さ。
真新しいまま古びていったものが、ここにはたくさんあるんだ。
片手だけ出して、転がってる羽根を触っていたら、成美さんが閑そうに呟いた。
「1号、2号。あんた達これで勝負してなさい」
「…え?」
「いや、いきなりねーさん何を」
反論というか、疑問を連ねようとした口は、ぴんと跳ね上げられた眉に封じられた。
「…恭ちゃん」
「…わかってるよ」
同時にふたり立ち上がり、景気悪げにふすまを開けて、出る。
ふすまの向こうから声が聞こえた。
負けたほうは言いなさい。
あたしが顔に墨塗ってあげるから。
まだ、なんとか昼間で。
大丈夫になったとは言っても好きこのんで出てくるほどじゃないんだろう。
深くため息を吐いた俺を、分かち合うかのようにぽんぽんと肩を叩かれる。
コートを羽織り、靴を履いて庭に出た。
「行くわよ、ひろみ!…てな」
「バカ」
成人男性の手には少々小さすぎる羽子板を手に、哲平が軽く羽根を打ち上げる。
それを軽く捉えて、素直に哲平の利き手方向を狙って打つ。
哲平も、特に力の限り打ち返してくるってこともなくて、気の抜けた打ち合いが続く。
割といい天気に、響くカンカンって硬質の音。
たこ揚げも、一度小学校でやって、うまく上げられなくてそれっきりだった。
独楽回しも、正月だからというのではなくて遊んだことはあるけど。
羽子板は女の子の遊びだって言うけど、正月らしい正月あそびは初めてかな?
そう思いながら、軽く打ち返す。
たまに、少しだけ外して打ち返して走らせながら。
まあ、自分もお返しされてるわけだけど。
「なあ、成美さん、それなりに羽子板に申し訳ないとか、思ってたりしないかな」
かこん、と打ち返して言った。
「んー、なんで?」
かこん、と打ち返されたのは、立ち位置の少し左側。
「…っこら、外すなよ。いや、全く使ってなかったんだろ?そのまま捨てられててもおかしくないわけだし」
体を捻るようにしてなんとか追い付き、高く打ち上げて返す。
「そやな、モノ自体は居間まで残っとったんやから嫌いやなかったんかもしれんな」
嫌いなものだったら、捨ててただろうし。
アンティークショップしてるんだから、ものに対しての思い入れは強い人だろうし。
高く上がった羽根は、哲平がゆっくり打ち返して軌道修正。
「うん、そう思うんだ」
使わなかったことへの、詫びみたいなものかな、俺たちのしていることは。
いつの間にか、打ち続けることを目的としたそれに、勝負なんて付きそうになかった。
成美さんの声が、外まで聞こえるまでは。
「ねえ、イカのスミとか無い?」
哲平の耳にも届いたんだろう。
思いっきり顔が引きつった。
鏡に映したように、俺も同じ表情をしているに違いない。
「ちょっとー、早くしなさい。ヒマー。…勝負つかなかったらふたりともあたしの前で正座ー」
…………正座のあとが、問題なわけだけど。
とにかく、飛んできた羽根は高く打ち返した。
どうしよう、と一瞬母屋のほうに目をやり、そして相手の顔に戻す。
哲平は、開き直ったように笑っていた。
羽根は、高く上がって哲平に向かう。
哲平は上体を弓なりに大きく反らし、羽子板を持つほうの腕を深く曲げて構えている。
まさか。
すまんな、覚悟して。
小さく、寒風にのってつぶやきが聞こえた。
「ははは、食らえ恭ちゃん殺人スマーーーーーーーーーーッシュ!!!!」
「裏切り者ーーーーーーっ!」
空は青く、はねつきの羽根は色鮮やかで。
…そして冬の地面の茶色に、よく映えた。
fin.