目に焼き付いているのは。

蒼く、澄んだ空。
碧く、凪いだ海。

そして、朱く、歪んだ唇のような。





弧を刻む --隠れ鬼・幕間




ぴしゃりと、軽い水音が立つ。
胸元に空いた穴からあふれた血は、見る間にその色を広げていく。
革靴の先を、濡らすそれを気にも留めず、ただ俺は呆然と息絶えたその人を見つめていた。


どうみても、即死だった。触れてもまだ、その肌にぬくもりはあるのだろうが。
その瞳に光は戻らない。あの穏やかな声を聴くこともない。



俺はいつから、こんなに厳然と、生者と死者の境目を見分けられるようになったんだろう。

あまりにも見慣れてしまった光景。
親しんだ人が失われる瞬間。

俺はいつから、そんな瞬間を、こんな冷静に見られるようになったんだろう。




諏訪さんのところからいくらか離れたところに転がるのは、放り投げられた飽きた玩具のような、無骨な鉄の塊。
俺は、その重さを知っている。

引き寄せられるように、俺はそれに近付いて手に取った。
いつもなら、ハンカチとかで指紋とか付かないようにするのに、その前に現場保存のために触らないようにするんだけど。

素手のままで、引き金に指を掛ける形で持ち上げる。俺は、それを引いたことはないけれど。
守れたものもあるように、俺が招いた死も、確かにあるんだ。
そして、この結末の一端を担ったのも俺だ。




重い。




でも、威も森川も、片手で狂い無く狙いを定めていた。
この、命を奪える塊の重みは、人によって違ったんだろうか。

知りたくても、それを問いただすことはもう出来ない。

そして、これを重いと感じる俺でも、結局諏訪さんを生きて連れて帰ることができなかった。
最期の言葉も聞けないまま、こうして何も出来ずに立ちつくしている。


もしかしたら、違う結末があり得たかもしれない。今までの全てに、違う結末があり得たかも知れない。
諏訪さんの遺体に被さるように、今まで出会った哀しい結末の幻。





動けない俺を走らせたのは、階段を上る足音。
咄嗟に足下に銃を置いて、身を翻して物陰に隠れた。



「…ど、どうしたんですか、…って、なんだよ、コレ!死んでる…!」



若い船員が、動揺した叫びを上げて逃げていく。
明らかに、ごく普通のひとで、俺がいることを知っていたり、何か特殊な訓練を積んだ様子はない。




俺の存在は、きっと。諏訪さんと、倉戸と威とにしか知られていないんだろう。




威の興を削いだのは、諏訪さんだ。
だからこそ、あいつはごく当たり前の結末を、諏訪さんに『与えた』。



そう、それなのに俺はまだ生きてる。



生かされているんだ。
あいつはまだ俺に、『飽きて』ないから。

次の、『ゲーム』の登場人物に、俺はまだカウントされている。



ヒロヤの殺害現場に、供えられていた花が思い出される。
伊佐山さんの隠した泣き顔が浮かんでくる。

冷え切った倉庫の中で、俺の肩を縋るように掴んだ、手の感触が蘇る。



血が冷えていく。
何より、冷静になっていく。

指先は震えているのに。
心臓は早鐘を打っているのに。

これからのシミュレートが、あまりにも静かに構築されていく。



きっと、諏訪さんが持っていただろうある種の思い入れが、枕ヶ崎での連続失踪に繋がった。
そして、ここで臓器密売の流れが作られた。
主導していた人々が、全てこれで、いなくなった。その流れのいくつかの欠片は、明るみに出ている。

ここでまだ活動を続けることは、パーツ自体を沈める鍵にもなりかねないから。

だから、ここでパーツとして事件を起こすのは、パーツの活動自体には興味が無く、パーツを道具として遊ぶ奴しかいない。

パーツと、俺を駒にして遊ぶ奴しか。










そうだ、だから、ひとりで行かないと。



もうすぐ、この船は港に着く。乗り込む警察の目をすり抜けて、この場を去ることは難しいかもしれない。
それでも、行かなければ。

ここにはもう俺はいられない。




悲劇が、ただ場移りするだけでも。
少なくとも此処のひとは、何も知らずに幸せになれるんだ。誰も、ならなくて良い犠牲にならなくて済む。
もう、此処の人たちはたくさんのものを失ったのに、たかだかひとりの楽しみのために、さらにそれを要求することなんて、出来ないんだ。

根絶やしに出来なかった、その機会を潰した。
誰に謝ることも出来ないくらい、償えないくらいのことだから、せめて。

俺を助けてくれた皆を悲しませることも、分かっているけど。
哀しみや痛みが、いつか癒えるなんて傲慢なことは言わないけど。
赦してくれなんて、絶対言えないけど。
甘えているのは分かっているけど、それでも。






諏訪さんの遺体の残像に、今を生きている誰かの、…俺を支えてくれる皆の、未来の幻が重なる。






それだけは、許せない。







何よりも、俺が。






耐えられないんだ。














胸元の封筒が、責めるようにかさりと鳴った。



これから、俺は今までしてきた全ての約束を反故にする。



逝ってしまった彼らとの約束は、未来永劫、生きていく俺を縛るだろう。
守れないことを、目を伏せて謝りながら生きていく。

涼雪、今からの俺は、君の望むようではないだろう。
森川、俺は結局、お前の信じたものを守れなかった。

お前の託したものを、取り零した。





そして、今を生きる人と結んだ約束を、正しく解かず引き千切れば。


その断面は鋭利に、彼らを傷つける。

託された天秤を、置いていく。
諏訪さんは、俺の前で息を引き取り。
あの優しい場所に、戻らないと決めた。

それら全て、刃となって優しいあの人達を傷つける。




ああ、でも、…哲平。


俺は、せめてどこかで生きているから。

だから。





お前は、誰も殺すな。








舳先を、港へと変えた船は、もうじき港に着くだろう。

どうやって、タラップを降りたら上手く逃げられるだろう。
多分、警察に通報されたんだとしても、氷室さんみたいな、パーツに繋がっていない人には知らされていない確率が高い。

それが吉と出るか、凶と出るかは分からないけれど、それでも走らなければ。



助けは求めないと、哲平と別れたあのときに決めたんだ。

そして、「助けはない」との言葉に、「分かっている」と、俺は答えた。
だから、この結末を、俺は目に焼き付けて行かないと。






振り返る。





日に晒されたままの、諏訪さんのからだ。甲板も、きっと熱されて苦しいだろう。

どうしてさっきの船員は、その体を何かで覆って守ってやろうとしないんだ。



日差しは強く、血だまり後も少しずつ乾き、黒く変色しているようだ。
その向こうに転がる鉄は、光を弾き、更に不吉に光る。






そして、そこから今俺がいる此処までに残る、足跡。








見上げれば、蒼く、澄んだ空。
見渡せば、碧く、凪いだ海。

そして、見下ろせば。


朱く、歪んだ唇のような。













靴先の血が刻む、足跡。





























Fin.








恭介。
ねえ、銃に指紋が。