俺はお前を弟子だと思っているが。
全て同じ道を辿ると、決まってるわけじゃないんだからな。





夕暮れの部屋






「なあ、迷える青少年。人生の先輩がひとつ、陳腐なことを言ってやろうか」


今はもう夕刻で、驚くほどに真っ赤な光が部屋に溢れていた。 本来なら電気をつけなければいけない時刻なんだろうが、留守番で特に何かしなければいけないわけでもなかった。
客が来る気配があればつけただろうが、今電気が消えているのは、結局はそういうわけだ。


そこに真神が調査から帰ってきて、電気をつけようとした。
蛍光灯の白々しい光は、きっとすぐにこの部屋を日常に戻すだろう。
そうなると言えなくなる、言っておかなければならない言葉があったような気がしてとりあえず口を開いた。

「え、所長?」
どうやら、俺がいる気配に気付いていなかったらしい。
明かりをつける手を止めて、俺のデスクを見て驚いている。
「まだまだ俺には勝てないな、別に寝てたわけじゃないってのに」
笑って言うと、苦笑して真神はドアに背を凭せ掛けた。
「すみません、電気ついてなかったから」
言い訳にもならんがな。もし悪意のある侵入者が待っていたとして、煌々と電気をつけてくれているはずもない。


「で、なんでしょうか所長」


この考えの甘い不肖の弟子は、少し首を傾けて俺の言葉を蒸し返した。
深く考えがあって発した言葉ではなかった。
だから蒸し返されて少し戸惑った。ほんの少し前の言葉に責任が持てないようじゃ、俺もトシかね、なんて考えつつ、こっちを見る真神の顔を見返す。
こういうときは、何も考えずに言葉にしたほうがいい。

何もなかったとごまかすよりは、多分な。


「幸せになるのを、怖がらなくっても良いんだ」



口にした瞬間、思った。
予告した以上に陳腐だった。正直鳥肌が立ちそうになったが、まあ堪えた。
真神は、一瞬目を見開いて、そして逸らした。
長くはない髪を、かき上げるようにして掴み、俯く。
「どこかで聞いたような言葉ですね」
表情が読み取れる唯一の部位の口元は、笑いに見える形で歪んでいた。
「何、俺が口にした時点でそれは俺のオリジナルだ。陳腐だがな」
言い訳にもならないその言葉に、真神は小さく溜息めいた空気を吐いた。

「幸せには、なりたいと思っていますよ。それが怖いんじゃないんです」
夕暮れの朱い光に、いつしか夜の藍が混じっていた。
その所為か、いつもより温度を失った印象を受けた。
「大事なものを、失くすのが怖いんです。…たとえば俺がどうしてもと望んで、家族にした人を、俺の所為で失くしたら、俺は多分生きていけない」

半分は、例え話ではないだろう。
今、どうしてもと望んで、それでも真神は諦めている。

「それはあれか、失くしてそれでも生きている、俺への挑戦か」
揚げ足を取るようなその台詞に、こちらを見る目が大きく見開かれる。


「俺はこれ以上失くせないと思って、いつも立ってる。京香だけじゃなく、取り巻くもの全部だ」
お前は、違うのか、それは敢えて音にしなかった。
光を嫌いな女王様も、陽気で人懐こい親友も、そしてこの事務所の俺たちも。
家族同様、もう失くせないんじゃないのか。


何より、俺たちの敵が少し本気を出せば、家族という形をとっていなくても見抜くことは容易い。


「俺がこだわってるのは、逃げですか?」
「…さあな、これ以上俺に、柄にもないことを言わせないでくれ」

逃げだと、糾弾できるほど俺は大層なものではないし、家族という形を作った時点で、悪意を持った奴がターゲットにしやすいのは事実だ。




「…ありがとうございました」
真神は調査記録を黙って俺の机に置き、一言礼だけ言って出て行った。
思うところがあるんだろう。
…結局現状維持を選んでも、変えることを選んでも、俺はもう何も言わない。

曖昧な光の時間は過ぎて、明らかに夜になった。
帰るか、京香が待ってる。



それでもやっぱり、なくせない、と思う。俺の帰りを待つ家の明かりを、再び失うと考えるだけで震えが走りそうで。
だが、得た後に怯えるのと、得る前から逃げるのとでは決定的に違うだろう。



もしもできるなら、もう誰も失わずに、幸せになればいい。
守りきれなかった、出来の悪い師匠を超えてみせろ。


俺の願いを一方的に押し付けて、…すまんな。













fin.












ランクC以下、威生存の気配があったら、恭ちゃんは結婚とか絶対しないんだろうなーと常々考えている次第です。

ちなみに、あの台詞は、書いた直後に鳥肌が立ちました。
所長ごめんね。