『…君は、強いな』







そして、誰一人俺を責めることはない。
遺された手紙を握りしめるように、詫びたとしても皮肉で応じる声が、聞こえるわけもなく。




お前が口にしなかった願いを知りながら、訴えながら。

全て、一瞬の憎悪に食われた。









空論の行く果て










「ま、仕方ないだろう。全てが潰えていなければ、また尻尾を掴み直して潰すだけだ。腑抜けてる暇はないぞ、真神」





所長は所長として、また普通に街を歩くことが出来るようになった。
所長自身席があり、堂々とそれを使って良いはずなのに、人目を忍んでいた前と変わらずソファを大きく使ってくつろいでいる。
一年も離れていたら、他人の机のようで落ち着かないのかと思っていたのだけれど。
「お父さんたら、また自分の席にすわらないんだから…」
と京香さんが呟いているあたり、元からだったのかもしれない。


そして、その向かいに腰を下ろし、甲板の上での出来事を全て話した。


口に出すのも辛いことさえ、諏訪さんの親友でありパーツの壊滅に全てを賭けた所長に話すのも辛いことさえ、全て。




既に、警察にも話したことで。



自殺であることは状況を見れば明らかだったから、俺に嫌疑が掛かることも、偽りを申し立てているという疑いが掛けられる事もなく。
あの船に乗っていた有力者達が主だった関係者だったのか、不審な圧力が掛かるようなこともなかったそうだ。





だが、壊滅したかは定かではない。
むしろ、トカゲの尻尾切りがうまく為されたと考えた方がいいだろう。

そんなことは、この件に深く噛んでしまった人間なら誰でも分かっている。








「ま、って言っても今日はやることなんてありゃしないがな。帰って良いぞ。休んどけ」






にやりと笑い、ひらひらと手を振る。
もう、確かに話すことはない。




意思の力で合わせていた視線を、礼をすることで逸らす。
のろのろと足下に置いた荷物を取り、立ち上がって事務所を後にしようとした。

ソファの横を通り過ぎようとした、そのときだった。








「なんせ半人前の弟子だからな、青いのも仕方ない。何よりお前には、時間がなかった。…そう言われて気が済むもんでもないんだろうが、俺はそう考えてる」








見抜かれているのだろう。
そして、見抜かれたとおり、気が晴れることは無かった。





とにかくひとりになりたくて、俯いて早足に帰宅した。
ドアの鍵を閉め、靴を脱いでそのままベッドに倒れ込む。




京香さんは、俺が生きて帰ってきただけで良いと、そう言ってくれた。
その思いに嘘はなく、諏訪さんを悼んではいても、俺の力不足を責めることなんて思いも寄らないようだった。





警察に話すことは話した。




すぐに、哲平にも成美さんにも。

成美さんが、聞き終えたとき。
真っ直ぐに俺を見て、黙ったまましばらくして。

「仕方ないんじゃない?…あたしは、今更言うことはないわ」
そう呟いたのが妙に印象に残っている。




哲平は、とても慎重に言葉を選んでいたようだった。

「…オレは、よりによって恭介ん前で死んだことが一番許せん」






そのあと、ふたりともそれについて触れてくることは、無い。












あのとき声が出なかった。

今まで託されてきたことを、全て言葉にして紡いでいた。




森川は、諏訪さんに生きていて欲しいと、真犯人名を告げなかったことで知らせた。
京香さんは、清香さんのことを知って尚、知っているからこそ俺に託した。




全て告げた。
生きて、そして償ってくれと訴えた。




そして、最後に告げるべき俺の信じてきたことが。
あのときこそ、言わなければならなかった言葉が。









…生きていて下さい…









その言葉は、なにかに喉を塞がれ、音となることはなかった。
それが何かは知っている。




















一瞬の、強すぎる憎しみが未だ強く灼き付いている。







そのとき蘇ったのは、きっちりと正座して、二つの真新しい位牌を見つめていた背中。
真夜中に目が覚めて手洗いに立ち、襖の隙間から見えたその姿は、急に年老いてしまったようにも見えた。

幼い頭には、死というものが理解出来ず。
人がたくさん集まるところで黒い服を着せられても、いつか両親が帰ってくるのだと思っていた。
やがてじいさんが懇々と、両親が戻らないことを説いて、やがてそれだけは悟って大泣きした。




浮かんだのは、そんなことばかり。

京香さんのことも所長のことも、成美さんのことも哲平のことも、睦美ちゃんや皐月くん、涼雪や、…森川。
彼らのことは、一瞬消え去った。





その間だけで充分だった。






これが償いだと、諏訪さんは微笑んだ。








涙腺が壊れたように、流れる涙を抑えることは出来なかったけれど。
それは、何に対しての涙だっただろう。




自分に対しての、絶望のそれではなかったか。








諏訪さんに告げた、俺が代弁した感情は真実だと信じている。
所長も、真実と正義を求める感情の他に、親友であるひとに生きていて欲しいと、願っていただろう。

ただ俺自身が、彼らの心情を理解出来ていなかったことが、土壇場で自らに突きつけられた真実で露呈した。

それを伝えた口を持つ俺だけが、諏訪さんの生を願えなかったのだから。
解決を託してくれた人全ての願いを、踏みにじったような気さえする。















鳴海探偵事務所のドアをノックしたのは、ただ、真実を知りたいその一念だった。
明らかな危険が迫っていることを知っても、それでも尚追ったのも、ただそれに突き動かされて。




名探偵になりたいと思っていた。
ずっと、前から。










死では、救われることはないのだと。
生きていてもらって、そして伏せられた真実を白日に晒すことで、救われる人や悲しまずに済む人を増やせるのだと信じていた。

…はずだった。












裁きたいとは、思っていなかったはずなのに。











そうであろうとした自分さえ裏切った感情。
それでも、自分があのとき声高に叫んだ言葉が綺麗事でも、理性だけで作り上げた机上の空論に過ぎなくとも。
確かにそれを願っている。


再び繰り返したとき、同じ道を辿るかもしれない。



それでも諏訪さん、貴方の死を望んではいなかったんです。
そんな裁きを、自ら下して欲しくなかったんです。






ひとりで行ったのは、貴方ならば分かってくれると信じていたから。
森川が信じた人だから、行動の端々に揺れているのが見て取れたから。
ここまでに至った理由が、威とは違うから。

人間であるが故の弱さ故だったから、耳を傾けて、この組織を止めてくれると信じていたんだ。







胸ポケットの、手紙を取り出す。
本物は今警察で、手元にあるのはコピーだけれど。






「結局お前の嫌うような、ヘボ探偵だったんだろうな」





見下げ果てたと言ったような、そんな答えで良いから聞きたかった。











それでも俺はまた、真実を探しに走る。
事件はまだ終わっていない。

パーツの真実だけじゃない。
成美さんの中に、京香さんの中に、…俺の中に、解決が出来ないまま残っているそれを。






自分自身が、手酷く裏切った綺麗事な理想論を抱えていく。

それを、真実にするために走る。

忘れない。
































こめかみに当てられた引き金に掛けられた指。
それを促すように手を添えたのは俺だということは、理想を叫ぶたびに願うたびに、…思い出すだろう。



















走り続けようと誓うのは、響く銃声から逃げるためか、それとも刻み込むためか。

逃げるわけには、いかない。


















fin.












Rank_A直前で、諏訪さんの問いに沈黙で答えてしまうとこれって…酷いと思うんです。
とある方との話題で再燃した思いなんですけど。

以下愚痴っぽいので反転でぼやいてます。

恭ちゃんが答えられなかったことが、自裁の最後の後押しになったことは、誰よりも本人が悟ったことでしょうし。
まあ、演出上は恭ちゃんの後悔も「救えなかった」ことに対してのものとなるようですが。

最近したタイピン渡しから直接対決までのリプレイはこの結末の再確認のためだったんですよ。

その流れの恭ちゃんは、自らを鼓舞するためもあってか今までの集大成なんでしょうが、
とんでもなく強気。
探偵だからさ、は格好良いのですが、…そうしてこの結末に行くと。
大層辛いのではないかと。
森川の手紙を使っての説得も、京香さんとの直前の会話も。
諏訪さんが、揺らいでいたことも分かったでしょうしね…
と思いながら書いた話なので読みづらくて済みませんでした。

初め、相手は哲平のつもりだったのですが、哲平と恭ちゃんは罪と罰に関しての方向性は違ってると思っていまして却下と。
次、ねーさんのつもりだったんですがなんか微妙で。

結局、恭ちゃんwith所長&森川といった様相に?