間に合うた。
どれだけ高い代償を支払うても、オレがそれを悔やむことはない。
隠れ鬼
タミちゃんは、オレの顔見て笑うた。
「『恭ちゃん』、紹介してね」
「おう、明日、帰る前に寄るから」
晴れ晴れとそう答えると、タミちゃん手を叩いて喜んでくれて。
新聞の向こう側に見える旦那さんも、少しだけ笑てくれてるようで。
ここに泊まらんかったら、恭介取り戻せんかった。
「ほんま、どんな礼言っても足りんけど。…感謝してます」
タミちゃんは、その言葉には答えんと。
「夕ご飯は、少しご馳走なの」
そう言って、俺の手を引いた。
…言い尽くせんけど、ほんま。
タミちゃん曰くの、「最後の晩餐」をきっちり平らげて部屋に戻る。
部屋入ってまず、大将に電話やと携帯取り上げた。
『捕まえたのか。』
「無事、発見しましたわ。明日、帰るんで」
この報告が出来ることが夢みたいで。きっと大将は、電話に出た瞬間勘付いたに違いない。
『他に連絡入れたか?』
「いや、まだっすわ」
今から、ご隠居とかに電話せなあかんけど、まず大将や思たし。
『…あー、俺から必要なほうに回しとく。最初に弟子とは、時間取って話したい。京香は女王様のとこに当分泊まり込みだ。』
その言葉に、眉が寄る。状況が、簡単に思いつくだけに。
「成美ねーさん、また良うないんですか」
『…まー、大丈夫じゃないか。お前が薬持ってくるだろ?』
その言葉に、躊躇い無く。
「明日には、事務所に届けますんで」
そう言い切れた。
恭介の言葉を、疑うことだけはありえへんで。
悪い夢に飛び起きることもなくて、タミちゃんたたき起こしに来るまで爆睡やった。
起こされたら起こされたで、久々にすっきり目が覚めた。
「タクシー呼んでおいたほうがいいわね」
上機嫌にタミちゃんがサラダ取り分ける。
「あ、頼んます」
トーストかじりながら頭下げると、旦那さんが呆れてんのかしらんけど、ぼそりと。
「ここまで心配させる客は初めてだ。…それはそれで寂しくなる」
その言葉に、やっぱり心配掛けてたんや思うて。
この人らに泊めてもらえんかったら、恭介に辿り着けんかったかもしれん。
「今度は、恭ちゃん連れて泊まりに来ます」
礼代わりにそういうと、旦那さん、ほんの少し笑ろてくれた。
待ち合わせの時間よりちょい早う着く。
念願のライオンの輪っか掴んで叩くと、おばちゃんなお手伝いさんが出迎えてくれた。
「か、…恭介さんのお友達の白石様ですね。もう少々お待ち下さい」
そう言われたとき、恭介ん声が被さるように。
「すみません、俺もう出られますから」
そう、案内しようとするお手伝いさんを制止した。
ふ、と声のした方向見て懐かしさに目眩すらする。
「おはよう、哲平」
やけにごつごつしたボストンバッグ持って、恭介は軽く手を挙げて挨拶してきた。
見慣れた、見慣れてた上着。
あの場所で、別れたそのままの格好で。
「おう、おはようさん」
なんとかいつも通りを必死で演じて、笑いかけた。いきなり朝から泣きそうになって、どうすんねんオレ。
「準備は出来てるよ、行こう」
取り繕えへんオレを、見て見ぬ振りしてくれて。
それから。
「どれだけお礼を言っても足りませんけど。…長い間、お世話になりました」
深々と、深々と恭介は頭下げて、オレも釣られるように頭下げる。
初めての印象で、お化け屋敷なんて思うたけど、ここのひとらは本当にええ家みたいで。
ここの主人やろうばあちゃんから一歩下がって、みんな恭介のこと優しい目で見てた。
もちろん、そのばあちゃんも。
「あなたに、たくさん言えない辛いことがあって、それをまた私達に申し訳なく思って、辛く思っているのは分かっていたの。…居るべき場所に帰って、しあわせにおなりなさい、…恭介」
最後に、名前を呼ぶ声は。
ほんまの孫を呼ぶように、大切に呼んでた。
恭介は、Tシャツの胸の当たりをぐっと掴んで。
「はい、いつか、そうだと言えるように」
今は違うけど、という言われんかった言葉は、誰にも届いたはずや。
ばあちゃんは静かにそれに頷いて、オレに目を向ける。
「私があなたに言うのも、筋違いなんでしょうけど。…恭介を、お願いします」
「…守ります」
返事としては食い違ててても、オレにはここで言うに相応しいことがそれ以外見つけられん。
そんなやりとりのあと、恭介を2年間、守ってくれた家を出て。
タミちゃんとこ寄って、タミちゃんお約束のように恭ちゃん抱きしめるなんて羨ましいことしたりして、別れて。
そこでも、恭介は、深々と礼をして、それきり、名残を惜しむようなことは何一つ言わんかった。
電車で割と大きな乗り継ぎ駅まで行くと、恭介は電車でビジネスパークまで行くことを嫌がって。
所長が話したがってることを聞いて、所長と今後のことを相談するまでは、知り合いに会うのは避けた方がええかもってことやった。
乗り捨てたって、そんな金掛かりそうもないとこまで来てたし、適当なところで車借りる。
二人で車に乗り込むと、恭介が、ふ、と溜息をついた。
オレが見てんの気付くと、照れ隠しみたいに。
「どうしても、人の居るところに行くと気を張るようになってるんだ。そのうち治るよ」
治るよ、てそんな、病気かなんかみたいに言わんでも。
顔見たら、ほんま無理してんの分かる。
「恭ちゃん、昨日ろくに眠れてないやろ?オレしかおらんし、着くまで寝ててええで。…ま、借りたレンタカーにオレら以外おったらヤバいけどな」
軽口に、少しだけ表情も明るうなって。
「…バレてるか」
「バレバレや」
オレが入院してすぐの頃や、森川んときと同じ顔しとる、とは口に出せんかったけど。
「それじゃあ、少しだけ寝かせてもらうから、着いたら起こして」
恭介、笑顔作ってこっちにそう言って。
そのまま、助手席のシート倒れて、暫くして寝息が聞こえ始めた。
逸る気持ちも確かにあるんやけど、真面目に安全運転しとこ、そう思いながら前向いた。
朝、出たんに、着いたのは昼もだいぶ過ぎた頃。
探偵事務所の真ん前に横付けて、恭介降ろす。
幸い、近くには誰もおらんで、降りてそのまま建物のなかに滑り込んでった。
適当なところに車泊めて戻ってくると、恭介は事務所入らんでオレのこと待っとってくれた。
オレの姿を認めると、恭介はノブに手を掛けて、回した。
「所ちょ…」
「弟子、大幅遅刻。…罰としてコーヒー3つなー」
開けた途端、デスクに脚を投げ出した大将が気の抜けた言葉を掛けた。
あんまりな再会言えばそうやけど、らしすぎて、恭介も少し笑う。
「…はい、わかりました」
そう言うて、奥の方に姿を消す。
むっちゃ光景に違和感ないな、と思って見送ると、「よっ」とか気合い入れてデスクの椅子から立って、今度はソファを占拠した。
「ま、ワトスン君も座っとけ」
ちょいちょい、と向かいの席を促されて腰掛ける。
かちゃかちゃと、カップ準備してる音に耳傾けてると、どっかり落ち着いて煙草に火をつけた大将が一言、聞き逃しそうになるほどさらっと言うた。
「肝据えて話聞けよ」
恭介帰ってきて、今更何をビビることあんねん、そう思ても。
いつも通りの口調ん中に、オレのしらんこと山ほど隠してることがわかってしもて。落ち着ことオレも煙草取り出すと、黙ってライター放ってきた。
恭介が、盆に3つコーヒーのっけて運んできた。
まず大将の前、次オレ、最後恭介のために空けてた場所に置こうとしたとき、大将口開いた。
「遠羽ひとつ、背負って逃げ切れるつもりだったか青少年。…それとも、逃げきる気もなかったか?」
かしゃん、と一際大きな音を立てて、置かれたコーヒーカップが揺れた。
片方に盆持って、そして、コーヒー置いた体勢のまま下向いて固まってた。
「………逃げられればと、思っていました」
暫くして、絞り出すような声で小さく返事して。オレの隣に腰掛けた。
コーヒー口にしようとせんで、まっすぐ所長に向き直った。オレに、目もくれず。
置いていかれたいうより、むしろ聞いたらあかんという警鐘が頭んなかでガンガン鳴った。
そんでも、肝据えてかかれ言われた事思いだして、なにより逃げた恭介引き戻したん自分なんやからと言い聞かせる。
こらえるように、両手組み合わせて、ぐっと力籠めて足の当たりに置く。
「なんかな、変だと思ったんだよな。まあ、逃げると決めたんだったら家帰って金取りに来るのは当然だし、組織関係に気付かれたらまずいもんもあったから、持っていくぶんには良いんだけど」
「…はい」
恭介は、きっちり背筋伸ばしてる。
「なんで、森川の手紙わざわざ置いていったわけ」
元々焼けにくい性質や言うてたけど、あんまり外に出ん生活の所為で、更に色白になった思う。
だから余計、真っ青になってんの分かった。
「…森川の手紙、置いてったて。初めから恭介んちおいてあったんと違うんですか」
そんな情報、なにひとつ聞いてない。なにか、そんなん分かることなんてあったか?
「いや、裕ちゃんからコピー見せてもらっただろ?結構さ、皺っぽい濃淡があったんだよね。普通、部屋で読んでる分にはつかんだろ。で、弟子の性格なら、こういうもん持ち歩いて、結末なり見せてやりそうだし」
「…はい。その通り、でした」
密やかな声は動揺しまくってて。
オレには、恭介がそんなことする理由考えつかんし。
「リトマス試験紙か」
「…はい」
「赤だったか」
哀しそうに、口元が笑った。
「はい」
リトマス試験紙、てなに?
まず、そんなアホなこと考えて、そんでガキのときに学校で、素手で触ったら色変わった青い紙切れんこと思い出した。
「結局な、パーツにとって強引なりとも自分が犯人に仕立て上げられやすい状況を作ったんだよ。警察にどれだけ食い込んでいるのか見極めることと、威がゲームをしたがってるか見るためだったんだろ?」
置いてけぼりのオレに、大将が面倒そうに説明する。確かに、恭介に説明させるんは酷な話やな。
あの記事は、全部。恭介の計算にあったいうんか。
「送り込まれた公安を、始末しようと焦るぐらいだから本当に真底から腐りきっては居ないと思いました。でも、Aimとか森川関係で、却ってこの周囲の警察に組織が食い込んでいるかとも思って」
恭介は、オレがおらんかのように言葉を紡ぐ。オレのことを、気にしてんのはわかんのに。
「大々的に、追われてる限りは威にゲームを開始する意志が見られないってことだな」
「…威が俺に見切りをつけた、とも考えられますが」
淡々と続く、理解しとうないやりとり。
あの2年間の流れを見てて、恭介がここにおったらやばかったんはわかる。でも、なんでそんなもん仕掛けていかなならんのや。
「なんでや、なんでそんな危険冒す様な真似…」
物わかり悪いとは思う、そんでも。あいつらが汚い手使うて追ってくること、なんで狙う。
恭介は、辛そうに口を閉じた。
俺は、それ以上しつこく聞き出そうと出来んで、やっぱ口閉じる。
「ワトスン君、ライター」
沈黙破ったんは、煙草揉み消した大将のそんな声。
かちり、と火をつけて顔上げて大将が続けた。
「……遠羽には、もう組織絡みの事件は起こらないはずだ。…少なくとも弟子が、存在しなければ」
その言葉に、隣の気配が震えた。
それは、許せん暴言のように思えた。
いくら大将でも、と立ち上がり掛けた俺の肩を、隣から伸びた手が押さえて。
俺の顔をのぞき込んで、宥めるように微笑うた。
「所長のいうことは正しいんだ。…それは全部、俺が思ったとおりのことだよ」
思うな、そんなこと。そんなとこで、微笑うな。
「諏訪さんが殺されたとき、……これで、パーツの手がかりが無くなったって思うのと同時に。きっと、もう、遠羽から人が消えることはないって」
恭介、消えたやんか。
自分のこと数に入れてくれ、お願いやから。
そんなオレの考えおいて、恭介はキツいこと語り続ける。
「でも、俺に銃を向けることはなく、威は消えた。………だから、まだ、次のゲームがあるんだ、って。そう、思った」
一言一言、躊躇いながらゆっくりと、恭介が呟く。
深く吸った煙を吐き出して、大将が引き取る。
「遠羽の石は全部沈んで、多分遠羽を管理してたのはAimでかなり動いてた高貴だろう。…Aimの爆弾の件もばれて、狩り場も狩人も解体屋もいなくなって、高貴が死んで、もう遠羽に組織の旨味はないからな。むしろ邪魔だ」
恭介が考えたことを追っていってるだけなんやろう。大将は。
だからこそ、どうしょうもなく腹立って、憎いとすら思て。
恭介に向かうべきなんやろうけど、それにはそう考えた恭介が、あまりに哀しすぎて。
恭介は、目を伏せる。大将の言葉を肯定するように。
「今までの事件は、組織の世代交代に関わる、ある意味起こるべくして起こった事件だったと思います。…でも、これから事件が起こされるとしたら、真神恭介に向けての作為的なものだと、そう思って」
一旦、言葉を切って深く息を吸う。
「今までの事件は、それでも誰かは助けられたと思っていました。…でも、もし、これから遠羽で事件が起こるそのときは」
「お前が遠羽にさえいなければ、初めから起こることがなかったはずのものになる、か」
大将に、小さく力無く頷いて。
どんどん小さく、掠れていく声。
「諏訪さんが倒れていくとき、思ったんです。…また、俺は助けられなかった、って」
違うやろ、爆弾止めたやん。何人助けた、そう言いかけて。
止められたんは、威のゲームに乗ったからや、そう思い至る。
「次からの本当の標的は俺でも、傷つくのは俺じゃない、奪われるのは俺自身じゃないんです。…………俺が遠羽にいる所為で、誰か死ぬのなら」
俺が、消えてしまった方がいい。
最後の言葉は、既に言葉ですらなかった。
威が奪っていったほとんどは、俺の舎弟か恭介と親しかった、犯人。
俺が向かい合うたあいつらの死は、あまりにも悪趣味で。
そのせいか妙に現実感が無うて、哀しみよりも、むしろ怒りが強かった。
まず死んだ、いう報せを受けてから向き合ったからもあるかもしれん。
なにより、隣には必ず恭介がおって、必死でオレを支えようとしてくれてた。
でも恭介は、つい直前まで口をきいていた人間が、信じてた人間が、悔いて、やり直してくれるかもしれんかった人間が、目の前で撃ち抜かれて。
森川んとき以外は、たったひとりで立ち向かっとって。
…その場にはいつも威がおった。
黒幕で、そして最後の手がかりやった弁護士のおっさんがその威に殺されて。
恭介の心が、折れてしまっても仕方ない。
仕方ないとは思うけど。
命懸けで守りたかったいくつかの約束を、振り捨ててまで恭介は。
遠羽からこれ以上、人が消えんのを嫌がった。
コーヒーカップ取ろうとして、手が震えてるのに気ぃ付いて。
その震えが、怒りからか混乱からか、恐怖からかはわからんけど。
このまま無理してカップ持とうとしても、ひっくり返してそのままこの場から逃げてしまいそうで。その手を引いて、握りしめた。
「じゃあ、威が表舞台に出て、お前を手招きするそぶり見せたとき、どう思った。気付いただろ?」
…謝罪広告か。
あれも、スクラップの中にあって、色々考えて、追われるように仕向けた恭介が、気付かんかったわけない。
森川の手紙で、でっち上げられた犯人像は、全部否定したそれ。多分恭介が、一番望んでなかったリトマス紙の変色。
「戻らなければ、と思いました。でも、戻ったら事件が起こる。そう思うと、足が竦んだんです。優しい場所にいたからかもしれない、…遠羽で、まだ事件が起こってなかったからかもしれない。結局、俺はどうしようもなく怖じ気づいていたんです。威に立ち向かうことに」
恭介は、俺の顔見て哀しそうな瞳をした。
俺が来たら、戻ろうと決めてたって言うてた。
それは、どんな気持ちやったんか。
何もわからんまま、俺は恭介を捕まえてしもうたけど。
「戻らないお前に、痺れを切らして呼び鈴代わりに遠羽で事件が起こっていたら?…あいつきっと好きだぜ?事件の途中に、死んだと思われていた探偵が華麗に再登場、って演出」
悪趣味や。
でも、それはあまりにあいつらしい。
「そのときは、全てが手遅れでも。俺が戻らなかったことで傷ついた人に謝りようが無くても。………俺は、戻ったでしょう」
それも、どこかで覚悟してたんか。
伏せられた目は、もう一度見開かれて。
戻るのは、強い光。
俺に、戻ると告げた強い光。
もどかしゅうなった。
もういっそ逃げてまえ、と思った。気も狂わんばかりに探し続けて、連れ戻したのはオレや。
でも、恭介に、これほど全部背負わせてしまうと、知っていたなら。
そう思って、わかった。
だから、大将はオレに、そんなこと考えてたなんて伝えんかったんや。
ただひたすらに、恭介に帰ってきて欲しい思うオレに迎えに行かせた。大将が行ってもよかったんやろうけど、何も分かってないオレに迎えに行かせた。
「それでも良かった。…ここで、何も起こらへんうちに、威より先に、恭介見つけられて」
空元気奮って、場違いな口調で言う。
そう、威より先に見つけられた。あいつが、痺れ切らして事件起こす言うなら。その前に、恭介に出会えて立ち向かう準備出来る。
ただ、単純にそう思て、気分切り替えようと思ただけでそう言った。
それなのに、どうして、恭介の顔が苦しそうに歪むんや?
「…な、どうしたんや恭介」
その反応に、天を仰いで大将は呻いた。こっちの完敗か、そう呟いて。
「…手帳は、やっぱり持っていなかったのか。お前が手帳を落としたのを拾ったって言うおばさんの情報から、お前の居場所が分かったんだが」
「…花の届け先は、暗記していました。手帳に記して、身につけなければならない情報は、あのときの俺にはなかったので」
なんやて?
じゃあ、恭介の住所、そんな回りくどい方法でなんで教えようとする?
それは、聞くまでもない。
威が、気付いたからや。
あいつの勘に触る嗤い声が聞こえた気がした。
「…呼び鈴鳴らさなかったのは、まずお前の隠れ場所突き止めることがゲームの前哨戦だったからだな。で、一応丁寧に招待状を出してくれたわけか」
心底悔しそうな、大将のそんな声は初めてで。
恭介は、黙ってボストンバックを開けた。
その中に入ってたんは、あのスクラップブックで、身の回り品はなかった。
その奥を探るようにして、恭介は黒いもんを取り出した。
…手帳?
それを、黙って大将の前に押しやり、見つめる。
大将は軽く眉上げて見やって取り上げ、ぺら、とめくって手が止まる。
「悪趣味だねえ、つくづく」
そう呟いて、オレにそれを投げた。
片手でキャッチして、それを見ると。
それは、全く使われてへん真新しさやった。
不思議に思って、ページをめくる。
初めの、通年の予定表みたいなところに流し書いた英語。
"I’m looking forward to meet you again
at no distant date."
誰が書いたかは、イヤんなる程良うわかっても、情けないけど、意味分からん。
そんなオレに、大将が言うた。
「…『近き日の再会を、楽しみにしています』、ね」
…あいつ、来たんか。
「定期購読していた雑誌の包みに紛れ込んでいました。…哲平が来る5日前。花を送りに、外出した翌々日です。多分、そのときに見つかったんでしょう」
恭介が、自分が見つけられた理由聞いて妙な反応したんはそのせいか。
でっち上げた理由を、後付けで本物にするためわざわざ手帳を送りつける。
一番後ろのページ見ると、果たして、恭介に限りなく似せた字で、あの家の住所が書いてあった。
「更に言えば、その予定表、もう一個記入してある場所があるんだ」
住所のページ見て、引きつっとるオレにそう言うた。
「どこや」
「一ヶ月一覧出来る予定書くところ」
ぽつり、と言われたとおりの頁を開ける。
そんで、息を呑む。
「どういう意味や」
声が掠れる。
書き記してあるのは、赤い、3つの印と1本の線。
オレの顔色見て、大将が俺の手の中のそれをかっさらう。
「一つ目の○は、お前が花を注文した日だな。つまり、突き止められた日か」
「…そうです」
その、一週間後くらいに○が付いてた。それは、確か。
「…お前のじいさんの命日だな。つまり、俺たちがその情報元に動き出した日か」
「…花の届く日に、○が付いてるな、とは思いました。だから、何か動くかもしれないと」
そんで、最後の○は、またその一週間後。それと、花が届いた日を線で結んである。この期間と、教えるように。
明後日の、○は、なんや?
「…これが、リミットか」
「…この日の前に、あの家を出るつもりでした。誰が来ても、来なくても」
恭介は、オレが来たら戻ろうと決めてたて、そう言うた。
ほな、オレら、間に合わんかったら。
「…どこに、いくつもりやった」
「…当ては、もう、なかったけど」
遠羽には、来んかったいうことやな。
ぷつりと、なんかキレた。
「恭介、お前、そこまで突き止められとるわかってて!…まず見張られてる、そこで逃げたら、遠羽以外に逃げたら!どうなるか、分からん筈ないよな?」
目の前、滲みそうになる。振り払うように怒鳴った声は、情けないほど泣きそうやった。
胸ぐら掴んで、隣の恭介ソファに押しつけるように。弾みで、手をつけんままのコーヒーカップが、落ちて割れた。
「ごめん。………わかってたよ」
目を閉じて、逆らうことなく押しつけられるがままで、恭介は呟いた。
恭介。
自分が崖っぷちにおって、足場が、どんどん崩れてんの分かってて。
それでも、前に進もうとせんかったんか。
オレが来んかったら、間に合わんで、手を差し出せんかったら。
………黙って、崩れた足場から落ちていくつもりやったて、そう言うんか。
目眩がして、力が抜ける。恭介の肩当たりに、頭垂れて。
言えること、責める言葉は何も浮かばん。
「お前には、知られたくなかった。黙っていられればと思ってたけど、そううまくもいかないな」
囁く声は、ただひたすらに静かで。殴りつけてやりたい思たけど、オレの拳は、恭介に向かうようには出来てのうて。
その顔の横の、背もたれ部分に思い切り叩きつけた。
「……ドアホ」
「ああ」
「…間にあって、良かったじゃないか。それでも」
大将は、こんな愁嘆場には関係ない、といった風で。
「戻ってきたんだ、覚悟決めて」
その言葉に、うなだれる俺を引きはがし、恭介は答える。
「はい。覚悟は、出来てます」
巻き込む、覚悟を。
恭介が、オレや大将や氷室のおっさんの意思を確認したのは、あまりにも不毛なゲームに乗るかで。
今から、こいつは。
威のゲームに巻き込まれる人らの運命も、ひとりで背負っていく。
「餌に、なれるな」
威を、パーツという組織を寄せる餌に。
「なるつもりで、帰ってきました」
同じような意味のやりとりを、繰り返す。それは、悲痛な誓いで、大将も分かってて問いかける。
「威に、権力欲はない。だとすれば、パーツを乗っ取ったのは、威なりの、ゲームの報酬だ」
ああ、そういえば。そんな感じやった。
張にいいようにこき使わせて、パーツとして大きな賭けやったろうAim爆破を、ゲームの種にしてオレらと『遊んだ』。
「その報酬を、勝ち取る。…パーツを野放しにしたら、遠羽にはもう被害が無くても、どこかで臓器密売があって誰かが泣く。…そんな、綺麗事を言う気はない」
どこか、余裕を見せていた大将の顔が、引き締まる。
「これは、私怨だ。妻と、…親友を奪われた俺の。その所為で、お前が苦しもうが、それでも。地獄に堕ちる前に、パーツを潰す」
はっきりと示された大将の本気に、恭介は両の手を組み合わせた。
「俺だって、同じですよ。…あいつは犯罪者で、俺は探偵で。………俺のために作られた事件なら、なおのこと。俺はその謎を、解かなきゃダメなんです」
どこまでも、覚悟は決まった恭介に、ただ、一緒に有ろうと決める。
ソファから大将は立ち上がって、、窓の外を見る。
「お前を見つけるって言う隠れんぼには、負けたがな。お前が捕まったから、今度はお前も鬼の番だ。勿論、俺も鬼のままでいるけどな」
恭介は、苦笑して合わせた。
「次は、パーツですね」
俺もおると、そう伝えたくて口を挟む。
「随分見つける対象が、増えて楽になったん違う?」
そう言うと、大将こっち向き直って。
「おう。…鬼は地獄に住むもんだがな。引きずり込んでやるんだよ、一緒にな」
そして、誰よりも人間らしい恭介は、また何かを切り捨てて立ち向かう。
逃げさせてやれば、良かったんかもしれん。
それでも、恭ちゃんが、崩れてく崖っぷちから動こうとせんかったら。
どんなに嫌がってもその手を掴んでた。
唇噛みしめる恭介の顔見んと、語りかける。
「恭ちゃんが、戻ってきてくれさえしたら、なんとでもなる」
隣の空気が、やわらかく動く。
隠れんぼの鬼は、見つけることしか頭になくて。
捕まえた子も鬼になるんやなんてこと、考えてもおらんかったけど。
それでも。
「何か奪われる前に、威とっ捕まえればええんや」
「…ああ、わかってる。そのつもりだよ、哲平」
恭介が選ぼうとした選択肢では、恭介を数に入れると、必ずひとりはいなくなる。
威の『ゲーム』が、そんな楽やなくても。
あの爆弾んときみたいに、もしかしたら、誰も死なんで大団円も、あるかもしれん。
そんな夢みたいな、ささやかで重すぎる事を願いながら。
誓う。
隠れた奴が、奪ってった恭介の大事なもん取り戻すまで、どんなに痛がっても離れたらん。
側におる。
Fin.