なにもかも、元の通りやなくても。
「帰ろ?」
声の、届く場所に。
隠れ鬼
風は、まだ強かった。
恭介は、オレの名前を呼んだあと、口を閉じて、そしてもう一度口を開き掛けて止まる。
オレは言えば、それはもう情けない有様やった。
言いたいこと、伝えなあかんこと、何もかも一気に押し寄せて、それが喉んとこでせき止められとって。
いつでもしょーもないこと言い続けてた口が、喋んのいやがったんは生まれて初めてかもしれん。
そんなダメな感じのオレを、ただ恭介は見つめてて。
それから、諦めたみたいに、俯いて少し笑うた。
そんで、顔上げて、目を合わせて。
「…久しぶり」
「…ほんまやな、久しぶり、恭ちゃん」
「元気そうで、よかった」
「恭ちゃんも」
当たり障り無い、当たり前の挨拶を交わした。
あの季節、ずっと昔からの親友みたいにしてたようなそれのおかげで。
知り合ってから過ごした、その何倍もの時間探し続けたことも、何もかも帳消しになる気分で。
そしてまた、ふたり黙ってもうたとき。
恭ちゃんが、剪定ばさみ持ち直して、動いた。
す、とオレのほう向かってきて、そのまま隣を通り過ぎた。
一瞬頭真っ白なって、それから浮かんだのは言葉は一言だけ。
また、おいていかれるんか?
追い立てられるように全身で振り返ると、恭介は少し行きすぎたところで、足止めてオレを見てた。
間違いなく血の気引いてるオレの顔見て、すまなそうな顔して。
「長くなるだろ?部屋で話そう」
静かにそう言った顔の恭介は穏やかで、もう逃げるつもりなんてないんやと知る。
「…ん」
そう、軽く答えて歩き出して隣に並ぶまで、恭介はその場で待っててくれた。
剪定ばさみは、庭の隅に立ってた作業小屋みたいなものに片して。
ライオンが、相変わらず間抜けに輪っか銜えてるドア開けて、当たり前のように恭介は足を踏み入れる。
勿論、それが今の恭介にとっての当たり前。
少しずつ見えてくる『今』に、オレのはいる余地は残されているんか不安になった。
それでも、残されていなくても譲れないものがあるんや。
外見よりも、中は手入れが行き届いてた。
恭介がおるんやから、当然かもしれんな、と笑う。
それにしても、この屋敷はなんか馴染みのある雰囲気やな、と考えて思い当たる。
洋風とか和風とか作りは全然違うても、オレの住んでいる、ご隠居の家の空気ににてるんやと。
よそ者のオレを当たり前に受け入れて、帰る場所になってくれたそこと似ているここは、きっと恭介に優しかったやろう。
「…和真さん?」
奥からひとが出てくて、聞き慣れない名前を呼んだ。
恭介は、その、品のええばあちゃんに、声を掛けた。
「すみません、友人が訪ねてきてくれたんです。部屋で話させてもらって構いませんか?」
その言葉に、とても驚いた様子で、目を見開いて俺を見た。
「まあ、ごめんなさいね。じっと見ちゃって」
それから、えらく安心したかのような感じで、にっこりとオレに笑いかけた。
「和真さん、でいいのかしらね。あなたには……。とても、優しくて良い子よ。ここに来てから、ずっと」
恭介が訳ありやいうことを、わかってるんやろう、どこかかばうような口調に、心配せんでええからと伝えたくて首振った。
「わかってます」
ばあちゃんは、笑うたまんま頷いた。…恭ちゃんは、どこか痛んだかのように、少し眉根寄せて俺らを見てた。
広い一階の廊下を歩いて、一番隅の部屋。そこが恭ちゃんに宛われてる部屋やと案内された。
恭介は、オレを部屋に入れて「お茶持ってくる」言うて出ていった。
ひとりにされて、部屋を見回した。
使用人部屋という扱いらしいんやけど、思てたより広かった。それでも、あるのはベッドと机と、パソコン。
そして、机の側に綺麗に一週間分くらい積んである、数種の新聞と雑誌。
机の上には、分厚いファイルが何冊か。
何とはなしに取り上げて、息を呑んだ。
『チャリティーイベント会場で正義派弁護士射殺!』
『殺人現場から失踪の私立探偵、連続殺人犯の刑事との関係は!?』
いつか、吐き気がするくらいムカついた無責任な記事が、丁寧に切り取られてスクラップされてた。
関連記事とか、全部見やすいように整理されて。
これを初めて見たんは、…ああ、そうや。
恭ちゃんがおらんようなってしばらくして、探偵事務所の机にものすごい状態で積まれてたんやった。
京香ねーさんはこんなどーしようもないでっちあげ記事、すぐにでも捨ててまいたい感じやった。
同じ部屋におるのもイヤやったらしゅうて、そのまま成美ねーさんの様子見に行ったけど。
「こんなもん、なんの役にも立たんのと違いますか」
「…いっやー?すっごいお役立ちだろ?」
胸糞悪くなるでっち上げが並べられて。恭介の名前は無うても、今までの事件とか、そんなん並べ立てた上でもう一度調べ直すべきやとか。
小さいとき親無くして寂しい家庭で育ったとか、全部ねじ曲げて都合のええように。
売り出しているモン全部、かき集めて燃やしたい衝動に駆られてんのに、大将は暢気にタバコ銜えてぺらぺらめくってた。
「…んな、そんなでっちあげのどこに」
「情報はどうでも良いんだって、ワトソン君。…問題は、出元だ」
雑誌を閉じて、机の上に投げる。雑誌と新聞の山が崩れて、床に落ちた。
近寄って、奥付を確認する。
「毎朝…」
「ま、そういうことだ。他んとこも追随して書く流れになってんだけどなー。速報とか警察内部情報とかのすっぱ抜きが妙に多いのが毎朝系列なんだよな」
しらっとした顔で頬掻きながら呟くそれは、間違いなく恭ちゃんが標的んなったと示してて。
「警察内部情報て」
「本部長のお友達がまだまだいるんだろ?」
皮肉げに唇の片端だけ引き上げて笑うんが、どうしようもなく似合うとった。
「昭沢センセと、同じコトなるいうことですか?」
「このままだとな。…逮捕はされなくても」
そのあとは、敢えて続けようとはせんかったけど。
…恭介は、誰も知らんところで本当に消える。
行き着いたそれに、落ち着くために取り出した煙草の箱を、勢い余って握りつぶした。
その暫くあとに、ビジネスパークで富野のにーさんに会うた。
「あ、白石さん」
歩いてるオレを見かけて、向こうから駆け寄ってきた。
「…探偵さん、大丈夫?」
「大丈夫て、何がっすか」
TBTは、毎朝の傘下で、その社員で。探りでも入れてんのかと疑うた。
出てしもた声はとんでもなくガラ悪うて、目つきも人殺しそうやったんやろ。
一瞬富野さん怯んでんけど、それでも逃げんで。
「……俺達が探偵さん疑ってると思ってる?」
「……」
違う、ともその通りとも答えられるわけなくて、卑怯やけど黙ってんのを答えにした。
「探偵さん知ってる人で、探偵さん疑える人なんて、誰もいないって」
ぽつりと呟かれたそれに、言葉に詰まる。
「だから、怖いんだよね。わけわかんないのにどんどん変なことになっててさ、うち」
「変なこと?」
「…未解決事件とかの番組あるでしょ。それ東京の本局でバラエティで企画上がったらしいんだけど」
はっきり言って、先は聞きたなかったけど。
「で、そういうの普通大きいトコでやるのに、初めうちに来たんだよ。Aimで未解決の殺人事件、最新の事件ファイルで扱ったらどうかって。……探偵さんメインで」
どこに向かって、呪いの言葉投げたらええかわからんかった。ただ、喉の奥で、くそったれ、と呟いて。
「今、調整中でさあ。金井プロデューサーが渋ってて。あの、金井さんが」
ああ、えらい軽いおっさんがおる言ってたわ。恭ちゃん。
「……なんか、絶対おかしいんだよ。口には出せないけどみんな思ってる。だから、…大丈夫なのかな、探偵さん…」
最後の声は、なんか絞り出すみたいで。
俺が知りたい、そんなこと。そう思ったけど。
「事件終わって消えたあと、恭ちゃんから電話あった」
そういうと、目を開いて、ほんの少し安心したようで。
「じゃあ、元気なんだ」
「…ああ、きっと元気っすわ。…きっと」
最後は自分に言い聞かせるようやったけど。それでも、少しだけ明るい表情で富野さんは向こう行った。
そんな、キナ臭い日々をイライラしながら過ごしてると、探偵事務所から呼び出し掛かった。
駆けつけると、氷室のおっさんが応接ソファに座ってて。
「…ん、これ」
前置きもなく、ぺらりと紙3枚渡された。
一枚目は、なんの変哲もない封筒の裏表のコピーで。そう、差出人、以外は。
「…森川!?」
「…ん。小僧んちの家宅捜索でみつかった。やっとコピーだけど持ち出せたんだよね」
黙ってめくる。
あまりにも、あまりにも3号らしい文面で。
「ホンマ、素直になれんやっちゃな、こいつ」
死ぬかもしれんと思ってて、それでもこの調子なんかい。
恭介も、思ったんやろうな、と思う。
そんで、威だけでも捕まえようと改めて決めたやろ。
決めて……あの結果は辛かったやろ。諏訪のおっさんのことは、一言も触れてない手紙。
あいつが、諏訪のおっさんをまだ見切ってないんが分かったやろうから、きっと生きて、一緒に船降りたかったに違いない。
全てが、後追いで分かってく。
言ってやりたいことがあっても、聞いてやりたいことがあっても。
それをする方法は、オレらにはない。
手紙を凝視したままのオレをほっといて、氷室のおっさんが続ける。
「なあ、それ、共犯者にそそのかしてる手紙に見えるか?俺にはわからんのだけど」
返ってくる答えが分かり切った問いを投げられて、予想されきってるやろう答えを返す。
「そんなん、よっぽど目が腐れた奴だけや」
パーツ絡みの。
「だろうなあ、そんで、文面流さないで手紙があったっていう事実だけが雑誌社にソースとして流れてたりね」
飄々としたこのおっさんたちが、オレの掴めないところでなにか考えてるんやろうけど、もどかしゅうて仕方ない。
「おっさん、警察、どないなっとるんや」
ぼそりと零すと、顔を顰めて。
「…おじさん、二人と親しかったら関係者として捜査に全くタッチ出来てないんだよねえ」
「あー、まあそうだろうねえ。先入観とか言ったら、今の捜査陣のほうがヤバい先入観あるだろうけど」
「本当に、手紙にもう一枚、何かあったんじゃないかって言い出す始末だったり」
「んー、たらればで独走できるのは、私立探偵と一部の不良刑事の特権だと思ってたんだけどね。まさか組織全体で動かれると、一部の不良刑事は真面目に働くしかないかー。がんばってね裕ちゃん」
淡々としたやりとりの内容は、最悪で。ただ手を握りしめた。
「だから、ワトソン君。当分タイピンはとっとけ。…このままだと潰されそうなんだろ?」
「…今の捜査本部には、価値がないかも知れませんね」
恭介が、託したものさえ無駄にするのかと。足下がぐらぐらと、揺れるようで。
「…弟子を誰より先に見つけるか、なにか組織に変動が起こるか、だな。で、後者を待ちたくはない。身を隠させたままにする必要はあるかもしれんが、弟子を見つけるのが先決だ」
…ああ、言われんでも。
そして、やっと追い付いた。
今、オレは恭介が生きているところにいて、こうやって戻ってくる恭ちゃんを待ってる。
スクラップファイルのページをめくる。
『正義派弁護士の仮面に隠された非道な所行!』
『誤報についてのお詫び』。
…これも、大将の事務所で見た。
いきなり氷室のおっさんから電話が掛けられて、タイピンの提出頼まれた。
おっさんからならまあ、まずいことはならんやろうと思ってたら、あっという間に恭ちゃんの嫌疑が晴れて。
少年犯罪に熱心に取り組む弁護士が、実は臓器密売を先導していたと。
なんか、組織の規模が縮んどるような気がした。まだ、背後にあるものがあるはずやのに。
まだ、なにも終わってはないことだけはわかった。
それでも、恭介の身に及ぶ危険が、明らかに減ったんやと、それが純粋に嬉しかった。
数日後、大将に呼び出されて事務所に向かう。
「なんか、前の雑誌に謝罪出たぞ」
「あ、ほんまですか」
あの記事以来、この雑誌には目を通せてなかった。
恭介追う奴らの動向追うにはええかもしれんけど、裏見通せるほど頭良うないし、それより、手を触れるのもいややった。
「…よかったな、弟子はまだ生きてる」
ふ、と煙草の煙吐いた煙が立ち上る。言われた言葉の意味が読めんで、ただそれを目で追った。
「何言うてんですか」
「いや、ただ、警察使って弟子を探す必要が無くなったのかと思ってたんだよな。それで、あとは組織として不要になった遠羽の活動部分を、高貴に全部おっかぶせて切り捨てた可能性もあるんじゃないかってな。やだね、オトナは。疑り深くなっちゃって」
かかか、と喉を反らせて笑う。いや、笑い事やなくて。
「………」
このおっさんは、普通の顔して逮捕の経過見てて、素知らぬ顔でそんなこと考えてたんか。
弟子を捜す必要がない、てことは。
「その疑いは、ホンマもう晴れたんですか、こんな謝罪記事一枚で」
ぎりぎりと、締め付けられる胸の痛みをこらえて尋ねた。
「んー、多分ね。大手出版社が謝罪記事にこんな大きく取るなんてないな、普通。訴えられてもないこと考えると前代未聞だ」
「書いた方の良心が痛んだとかは…」
「無いな、面子の商売だからな、こういうのも。そんなイチ記者の暴走が許される小さい雑誌じゃない」
上の意志で出された記事いうことか。上ってのは、まずパーツで。
つまり。
「前話してたやつで、組織に変動が起きた、言うやつですか」
「…まあねー。まず間違いないと思う」
それから、煙草をぐりぐり灰皿に押しつけて少しだけ真面目な顔をした。
「威の意志が、パーツ全体に反映し始めた、てことだろ」
息が、止まった。
真面目だった顔は一瞬で、
大将はまた煙草に火をつけて美味そうにふかす。
「…弟子となー、ゲームしたがってるんだろ。でも、弟子一人じゃ対象にならないから、ここに帰れる環境整えてくれてんだろうなあ。行き届いてるねえ」
あまりにも冷静にされた分析は、考えようによっては最悪なんと違うか。
「…最悪かもしれんがな。弟子は、あいつの考え方知ってて、威は最悪ながら、動かせないルールを持って仕掛けてくる。…ある意味、残されたパーツへの最後の糸口が威と弟子のつながりだ。お前さんには、不本意でもな」
ああ、不本意や。めっちゃ不本意や。それでも、奴が、亮太やエイジやヒロヤや、森川の仇でも、それでも。
「…たとえ威でも、恭介を生かすもんなら、目ぇ瞑る。恭介取り戻すそのときまで」
拳を固く握りすぎて、爪が手の柔いとこに食い込んでも、痛いとも思えんで。
なんか、ここら辺めくってると、いろんなコト思い出す。
2冊目をめくると、それは経済記事とかで。もうさっぱりわからん。
ただ、こんな感じのもんを、やっぱり大将は目を通してた。
同じところにおるんやないか、恭介。
ひとりで、何もできんはずやのに。
未だに、全部抱え込んで見つめ続けとるのは、辛うなかったか。
「忘れてしまえば、よかったんや」
こんな優しそうなトコで生きてんなら、いっそ。
オレが迎えに来てしまう、そんときまで。
「ホンマ、アホやなあ。忘れとっても誰も責めんのに」
もう一度、そう呟いた。すると、期待しとらんかった返事があった。
「…自分が出来ないことを、俺に言うなよ」
ドアを開けて、恭介が苦く笑ろてた。手には、麦茶らしいグラスとなんかカステラみたいな菓子。
「…オレに、恭ちゃんのこと忘れろ言うんが無理な話や」
適当に、麦茶のグラス受け取る。
「そっか」
恭介は、一言だけ呟いて、もう一度、苦く笑った。
「なあ、恭ちゃん、今、なんて名前なん?」
「ん?」
カステラつつきながら、さっき耳にした名前を思い出す。
「ああ…さすがに登録とかしないっていっても、そのまんま本名はまずいと思って」
「…で?」
「杉内和真」
「…誰やねん、それ」
ま、実在したらあかんかったのやろうけど、それにしたって聞き覚えあらへん。
「一家そろって失踪しちゃったのが、杉内和将さんっててひとで。…で、俺の母さんは、確かにその失踪した一家の奥さんだった」
一家そろって失踪、てのはつまり、そういうことなんやろうけど。
そんな縁起悪い、とかやなくて。その後に続く言葉は初耳やった。結局、恭介が抱えてたこと、あの頃からずっと、持ってやることは出来てへんかったと思い知る。
「……どうして、母さんが俺の父さんと結婚したかは分からないんだけど。でも。…もしかしたら、なにもなければ、俺の父さんだったかもしれないひとだから。その名前と、実際の父さんの姓の真神を残して適当に作ってみた」
さらりと、特に重要なことでもないように喋る。
会えなかった2年間、恭介は恭介やなかった。
「でも、嬉しかったよ、哲平。恭介って呼ばれて、なんか凄く泣きたくなった」
それは、そんな静かに笑いながら言うことやないやろ?
「なあ、恭介」
泣いてくれ、て言おうとしたんを遮るように恭介が口開く。
「哲平。…あの場から逃げて、組織から追われることも。生まれたときにもらった名前を、二度と呼ばれなくなることも。それは全部俺が選んだことだから、泣くことじゃない。泣いていいことじゃないんだ」
俺の言いたかったこと、全部分かってて否定した。
俺が何を言うても、こうなったら恭介は泣かん。
俺の前だけやない、誰の前でも、ひとりでも。あの全ての事件に関して、恭介は逃げた自分を許してへん。許さんうえで、帰らんかった。
『帰ろ』と、一言、言い出すタイミングが掴めんまま、何となく時間は流れて。
言いださな、と思うんやけど。恭介が、未だ事件に縛られたままなんがわかるんやけど。
それでも、帰るのがいやや言われるのが怖うて、よう口開けへんかった。
嫌がっても、それこそ拉致って持って帰るくらいのつもりやったのは、どこへ行ったんか。
「俺、結構ここに来てから良くしてもらったんだ」
「ああ、それは良う分かる」
恭介が望んだんやろう雑誌とか、外出せんらしいのに揃ってる。
「ただ、俺がお手伝いさんが怪我してたの、送っていっただけなんだよ、もともと。それなのに、何でか住まわせてくれたんだ。名前だってそのときは決めてなくて、怪しいことこの上ないのに」
恭介見て、怪しいと思う奴はおらん気もするんやけど。自分を比較対象にするのが悪いんか。
「…なし崩しに住まわせてもらった。俺の顔は出てなかったけど、年格好とか、雑誌にかなり目を通してることから、多分騒がれてる張本人だと分かってたと思うのに」
ぽつぽつと、続けられる言葉は、ずっとこの家のひとに謝りたかったことなんやろう。そして、俺に、この家の人が大事やと、そう言いたいんかもしれん。
「恭ちゃんええ子や、そうばあちゃん言うてたやん。だから、居てほしかったんや」
それが慰めになるとも思えんかったけど、答えになってへんとわかってたけど。
「…ありがと」
それから、ふ、と溜息ついて。
「みんな、元気?…怒ってるかな?」
そう、あっちから遠羽のほうに話を振った。
「怒ってる、思うか?」
「…こう言うのは、虫がいいのかもしれないけど、思えない。だから、怒っててくれたらいいと願ってる」
恭介は分かってる、みんな怒ってへんことを。
ただ、泣きそうなほどに心配していることを、見ているかのように分かってる。
「…少なくとも、怒られるで」
京香さんには、泣きながら。
奈々ちゃんには、2年間練り上げられた特製メニューとともに。
氷室さんやら、大将からやらはちくちくちくちく言われて。
ご隠居からは、きっちり諭されて、
…成美ねーさんは、考えとうない。
「…仕方ないよな」
「恭介?」
「おとなしく、怒られるから。出来れば哲平、付き合ってくれ」
どうやって、説得しよとか思ってた。
見ると、恭介は。
テーブルの上に肘をついて、両手を祈るように組み合わせて。
そこに額を押しつけて下向いてた。
表情は見えんかったけど、声はずっと穏やかなまま。
「俺が、此処にいるのを許されてる間にお前が来てくれたら、戻ろうって決めてた」
ぼんやりと、間に合うたって、また思った。
なんのリミットを設けとったんかはしらん。
ただ、暫くしたら此処から消えるつもりやったのは見て取れた。
「…戻ってくれるんか?」
「…許されなくても、もう一度、真神恭介として立ち向かうべきだとは思ってた。ずっと、思ってた」
懺悔するような姿勢で、聞こえる静かな声は悲鳴のようで。
酷いことをしてんなと、苦しくなった。
「もう、戻らなきゃいけないってサインは、いくつも出てたのに。逃げ道に甘んじてたのは俺だよ。手間掛けてごめん」
そう言って、ゆっくり顔を上げる。
笑ってもなかった。ただ、意志を決めた目をしてた。
「所長も氷室さんも、お前も。まだパーツと戦うんだよな?威を相手取るんだよな?」
「当たり前や」
「それなら余計、俺がここで怖じ気づいてたら、駄目なんだよな」
組み合わされた手はそのままで。
ただ。力籠めすぎて血の気引いてた。
「明日、また来てくれるか。荷物まとめて、整理して一緒に帰る。説明もしなきゃいけないし」
俺が来る、そう思うて待っててくれたんは嬉しかった。でも、こうやって覚悟決めて立ち向かおうとしてる姿見ると、痛々しゅうてどうしようもなかった。
黙ってしもたオレを、なんか勘違いしたんやろうか。
「哲平?……もし、今更信じられないとか、そう思うんだったら。泊まっていって…」
恭介が、そんな分かってへんこというから。
「んなわけあらへん」
「哲平?」
「オレが恭ちゃん疑うたことなんて、生まれてこの方一度もない」
恭介がおらんようなっても。奪われることを不安に思うても。
「生まれてから、オレが死ぬまで、絶対恭ちゃん疑うことなんてあらへん…」
そんな泣き言に、恭介は、ただ。
「ごめんな」
そう言って目を伏せた。
謝ること、本当は何もない。
あのとき、腕つかんで一緒に行ったら良かった。
全て抱え込ませたのは、俺らやとそう思てる。
ただ、それを言っても、恭介は首を振るだけのような気がした。
「恭介、謝ることない」
分かってる、それでも、とそう告げる目を向けた。
「謝らんで。…今から言うことに頷いてくれ」
「何?」
ずっと、ずっと言いたかったこと。
「帰ろ、恭介。一緒に、俺らの声の届くとこに」
泣き出しそうな顔で、恭介は笑った。
「うん、一緒に帰ろう。哲平」
そのまま、何かを押さえ込むかのように、目を閉じて、片手で口元を覆った。
恭介は、前のように、オレが知ってるようにはもう、笑えんようになったんやないか。
それに限りなく近く、笑ってみせることは出来ても。
泣く場所を、自分で封じてしまったように。
それでも、欠けていても。
掬い上げる方法を見つければええ。
一緒に帰って、そこから始めてしまえばええんや。
タクシー呼んでもろて、家を送り出される。
家のお手伝いさんとかが、にっこり笑うて送り出してくれた。
恭介返してもらいます、そう、さっきのばあちゃんに言うと。
「…寂しいけど、あの子にはきっとよかった」
そう呟いたばあちゃんに、「すんません」と、どうにもならん挨拶をした。
タクシーを待つ間、恭介がぽつりと呟いた。
「なあ、哲平」
「ん?」
「…俺の居場所、なんでわかったんだ?」
そういえば、言ってなかったっけ。
「え、と大将、恭ちゃん花送ったトコ飛んで、恭ちゃんが手帳落としたん拾ったおばちゃんおったて」
「…手帳」
「なんか、ひっかかることあったん?」
「…いや、全体的には納得行った」
良くわからんことつぶやいて、恭ちゃんが苦笑した。
「気になることは、実際行った所長に聞いてみるよ」
なんか、流されたことを突っ込もうかしたとき、間悪くタクシー来てもうて聞き出し辛うなった。
「じゃあ、哲平。…また明日」
恭介が、こっちに向き直って、そして。
いつかしてたみたいに、ゆっくりと片手を上げた。
それに合わせることに、なんの戸惑いも躊躇いもなかった。
「ん、また明日」
そう言って、オレも片手を上げて。
音を立てて、打ち合わせた。
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