体細胞は、一定周期で入れ替わるってどこかで聞いた。
記憶の代謝
仕事は所謂『臨時休暇』で、洗濯とか掃除とかを片付けた。
なんとなく、やることもなくなって哲平の携帯にメールすると、『俺もヒマー』なんて相変わらずの一言メールが
返ってくる。
それで、それから一時間。
俺はいつも通りネット繋いでて、後ろで哲平が雑誌めくってる。
あとでスピリットに昼食取りに行こうかと話して、ほんの少し時間つぶしなんだけど。
ぼーっと、ニュースサイトからのリンクをクリックしようと、マウスを動かした。
「恭ちゃーん、ヒマー」
「って、こら」
いつの間にか後ろに忍び寄ってた哲平に、思いっきり後ろからホールドされる。
とある事件の関連情報を見ようとしてたのに、思いっきり手が滑る。
「哲平、あのなあ…」
後ろを向いて文句を言おうとすると、当の本人はディスプレイを見てふと笑った。
さっきの弾みで跳んだどこかのページを見てのことらしい。
「唯ちゃんやー」
「え?」
文句を言いかけたのを忘れて画面に向き直る。
芸能ニュースで、2ヶ月連続リリース!って文字が踊る。
「大丈夫かな、忙しいだろうに」
あのイベントが終わって、芸能活動以外にも色々引っ張られていた。
それでも、ずっとレコーディングは頑張っているのは聞いていたから、このニュース自体には驚いていない。
いつか会ったとき、『健康だけがとりえです!』って笑っていたけど、最近、唯ちゃんの活躍する姿を街の至る所で見かける。
「大丈夫や、ひとりやあらへん。そやろ?…頑張りすぎたら、きっと夢の中で怒ってくれるコがおるわ」
ふ、と上を見ると、哲平がそう言って片目を瞑った。
「そうだな」
そう呟いて、画面に目を戻した。
すっきりとショートカットの、唯ちゃんはとても元気そうだった。
「そういやあ、唯ちゃん髪型変えたんやなあ」
「そうみたいだな、似合ってるけど」
これからどんどん涼しくなっていくのに、風邪なんてひかなければいいけどと見当違いな心配をしていると、ホールドを解いた哲平が、今度は俺の頭を触っている。
「なにしてるんだよ」
「んー、恭ちゃん髪伸びたなあ、思てな」
言われて、自分でも前髪とかを引っ張ってみる。そういえば、結構邪魔になってきたなあ。
「最近は切ってへんの?」
そう言われて、ぼんやりと思い返す。
ついひと月前までの日々は、忙しすぎて思い出せないほどだけど。
「…ああ、9月の初めに切ったよ。お前が退院する頃」
「ああ、そやったな」
「もう、二ヶ月くらい経つのか。邪魔もなるよなあ」
そう思ったまま口に出して、マウスを握る手が強張る。
髪を切ってから、一月のあいだ。
そのときに起きた出来事は、一生忘れ得ないことばかり。
パソコンのディスプレイに目を向けながら、その中の唯ちゃんを見ていない俺に気付いたんだろう。
「恭ちゃん、どないした?」
哲平が、俺の顔をのぞき込む。
「ん、いや、…心臓移植したりすると、本来の持ち主の記憶とか持っちゃうって聞くな、って思って」
脈絡のない様なつぶやきに、哲平は一瞬真顔になった。
意味がわからなかったんじゃなくて、きっと、正確過ぎるほどに言いたいことをくみ取った所為だろう。
「切りたないんか?」
ちょっとだけ間をおいて、変わらない口調で問われる。
「そうじゃないよ、そうじゃないけど」
きっと、もう見ていても頭に入らないだろうから、唯ちゃんの笑顔が彩るウィンドウを閉じる。
「そうやって、忘れていくのかな、と思って」
あいつに託されたことは覚えているだろう。
彼女に変わらないで、と願われたことも。
ただ、小さなことは、少しずつ抜けていくのだろうと。
生きていく上でたくさんのことが入ってきて、そしてあふれたことは、入れ替わる細胞とともに消えていくのかと。
まだ、気を抜くと切り替わる世界と尽きない哀しみ。
先に進めないとわかっていても、それが解消されていくことは、どこか裏切りのように思えて。
「恭ちゃんが落としていくんは、きっと怨みとかそんな、ドロドロしたもんだけや。心配すんな」
ぽんぽん、と宥めるように叩かれる感触に笑う。
「そうかな」
「そや」
なんの根拠があって、そう思うけれど。
そうあるように、と心に刻めば、そうだろう。
何より、そうやって哀しみとともに思い出されることを。
あのふたりは望まない。
森川には馬鹿にされ、涼雪はちょっと困ったように笑うだろう。
「じゃ、髪切るかな。昼食べたら」
「えー、じゃあオレほったらかし?」
不満そうな声に、からかうように視線をやる。
「だって、お前が言い出した話だろ?」
切り返すと、哲平が一瞬詰まって、それから悪戯を思いついたような顔で俺を見た。
「なあ、恭ちゃん。オレ切ったってもええけど」
……金無いけど、さすがにそこまで困ってないし。
「俺はそこまでチャレンジャーじゃないから遠慮しとく」
至極当然の答えを返すと、不満そうに頭を掻く。
「えー、頑張って前衛的な髪型にしたんのに」
「…保守的でいいから」
そう力無く言うと、まあ恭ちゃんはそうやろなー、と笑われた。
わかってるなら言うな。
そろそろいい頃合いだと、ふたりで部屋を出る。
鍵を閉めながら、ふと思いついて。
「いくらお前でも、俺がとんでもなく前衛的な髪型にしたら耐えられないだろ?」
なんとなく、返事の内容は予想がついてこっそり笑う。
「任せとき、恭ちゃんの手ならモヒカンでもダイゴロウでも文句言わんで」
いや、別にそんな趣味はないけど。
「じゃあ、東京の某球団のチームマーク残して剃り上げていい?俺結構器用だし、綺麗に行くと思…」
「…ごめん、恭ちゃん。ムリ」
やっぱり即答だった。
泣き入れる哲平に、そういうわけで髪はプロに頼むと納得させて、外に出た。
半ば脅迫だな。
「いい天気だなあ」
「そやな」
歩きながら、晴れ渡った空の下で出会った、喪ってしまった人たちのことを思いだした。
大丈夫、確かに俺は彼らの笑顔も覚えている。
唯ちゃんは、美幸ちゃんの写真をずっと胸元に。
俺は。
あいつの手紙を、決して無くさないため、大事に箱に入れてあるように。
かたちあるものはなにも手元に遺されなかった、でも彼女の残像が鮮やかにあるように。
体の組織が入れ替わっても、胸の奥は変わらないまま。
笑い合った記憶は抱えたままで。
そうであるように、願う。
fin.