崖っぷちだろうが、支えてくれようとする人がいる、迎えてくれる場所があるから。
だから、守りたい。
幸福な食卓
あの騒動のあと、結局なんだかんだで俺が奢る羽目になり。
なんとかパフェで納得させたけど、さすがに俺は手をつけず、コーヒー一杯でごまかした。
妙に疲れて部屋に戻ると、なんか携帯が充電器で鳴っている。
慌てて取ると、哲平の名前が自己主張してた。
「恭ちゃーん。女王様のおつかい終わってん。密会する?」
「しない」
即答して、電源に親指を乗せようとすると、まるで反応が見えているかのように声が聞こえる。
「冷たいな恭ちゃん、ささやかな挨拶やん?でな、ホンマはご隠居が夕飯一緒にどないやって」
「…あー、嬉しいな。よろしくお願いしますって伝えてくれるか?」
「了解ー。ほな、またあとでな」
その有難い用件だけ伝えられて、何も考えずに快諾する。
いや、実際今日は、なんか食事を作ろうという気力もない。ご隠居のところの食事は、本当に美味しくて、一緒に食卓を囲む人もいていいこと尽くめなんだけど。
「このタイミングって言うのは、なあ?」
あの哲平が、さっきのの大騒動の顛末を、ひとつも聞かないで電話を切るというのはどう考えてもおかしくて。
「多分、ご隠居に話したんだろうなあ」
ご隠居も面白がるだろう経過だ。結末はあまり頂けないものだけど。
…ああ、成美さんもいるんだろうな、きっと。
「どうやって話そうか…」
嘘はつきたくないし、きっとつけない。
それでも、心配は掛けたくなかった。
「お邪魔しまーす」
「恭ちゃーん、いらっしゃーい」
いつもの通り、玄関に顔を出して声を掛ければ、ばたばたと哲平が顔を出した。
「ご隠居待っとるで。成美ねーさんもおるし」
…やっぱり。
ふすまを開けて、顔を覗かせれば。
退屈そうに食卓についている成美さんと、いつもの通り穏和に微笑んでいるご隠居がいた。
「すみません、ごちそうになります」
「いやいや、食事は人が多いほうが良いからなあ。
上機嫌に笑い声を立てるご隠居に、一礼して哲平の隣に腰を下ろした。
ひどく暑かった今日の天候を考慮してか、メニューは素麺で。
竹の器に盛ってあったりするのが、やっぱり違うよなあとしみじみ思う。
煮付けや冷や奴、あと細々した料理が品数豊富で、見ているだけで幸せになる。
「ほんま、恭ちゃん嬉しそうやな」
「…貧乏性なだけじゃなーい?」
「招いた甲斐があるではないか。好きなだけ食べていきなさい」
…俺は、そんなにあからさまな顔をしていたんだろうか。
何となく恥ずかしくなって視線を泳がすと、哲平が声を殺して笑っていた。
「…で、どうなったん恭ちゃん」
食事を初めてそこそこに、哲平が興味津々と言った感じで聞いてくる。
どうせだったら、食後にしてほしかったんだけど。
「ああ、見つけられたわけ?金持ちなほうのアンタ」
言われ様が、なんだか切ない。
特にご隠居も制止する様子もないし、溜息をついて、めんつゆを右手に持ったまま答えた。
「一応、うちの前で捕まえて、財布返したらしいですよ」
これで納得して欲しいけど、そううまくもいかないだろうと分かってて。
「なに、恭ちゃんちの近くに来たん?」
「うん、俺が出てきたときには帰ったみたいだけど」
その言葉に、哲平はすこし残念そうな顔をする。
「あー、見たかったわ。恭ちゃんに似とったんやろ?」
「まあ、成美さんも俺だと思ったらしいし」
近所を通ったとか言ってたよな。俺は一日家に籠もってたし。
「あんたいまいち印象薄いのよ。似たようなジャケット着て似たような体格と髪型してたら、大体アンタだと思うわよ」
「これ、成美」
さくりと痛いところをつかれて密かに悲しんでいると、ご隠居が諫めてくれた。
「でも本当の事じゃない」
その言葉に、ご隠居は困ったような申し訳ないような顔をしていた。否定はしてくれないようで、それでもう少し傷ついた。
「大丈夫やて、俺恭ちゃんの後ろ姿なら10km先からでも見分けてみせんで!」
「…お前はどこのサバンナ生まれだ」
「いややな、恭ちゃん専用にきまっとるやろ?」
「…別にいらない」
上機嫌に笑ってる哲平にひとこと突っ込んで、素麺を一口啜った。
これで話が終わってくれればと、そう思っていたんだけど。
「で、アンタなのに金持ちのそいつ、何しにフラフラしてたわけ?」
なんとなく、触れて欲しくない話題に触れるのは成美さんだと思っていた。
一瞬手を止めて眉を寄せたのを、哲平が目敏く見とがめて。
「なに、なんか理由あったん?恭ちゃん実は生き別れの双子とかおったんか?」
「いないよ」
ふう、と溜息をつく。
「でも、なにしに来たのかは見当付いてるみたいじゃない」
「…まあ、一応」
気が進まなくみえるだろう俺の様子に、ご隠居まで箸を止めた。
「なにか妙な節でもみせていたのかな?」
哲平の視線が横顔に刺さり、成美さんが片眉を上げてこっちを見ている。
話さないわけには、いかなくなった。
「成美さん、奈々子が、俺に似てる奴が悪い人だと直感した理由覚えてますか?」
まあ、当たり障り無いところから話していこうと、成美さんに質問してみる。
何を今更、って顔をしながらも成美さんは一応答えてはくれた。
「なにって、あんた似なのに金持ちなんておかしい、きっと悪いコトしてるに違いない、でしょ?」
「……奈々ちゃん、またえらい理由やなあ」
哲平が、苦笑するように呟く。俺だってとんでもない理由だとは思ったけどさ、今思えばある意味で真理だった。
「で、結局うちの前まで追いつめて、財布返したらしくて。ま、返したは良いんですけど、奈々子てのひら返したようにいい人だったって言うんですよ」
ぼそぼそと、素麺たぐろうとしたまま言う。哲平が首を傾げてそれに返した。
「んー、分からんなあ。恭ちゃん似なんやから、ええ人でよかったんちゃうん」
いや、お前いくらなんでもそれはないだろう。
「うーむ、わしの知っている真神くんによく似た男も、良い奴ではあったがなあ」
いや、だからご隠居、それはどうかと。
「だから、2号に似てるのにブランドものの財布持っている時点で別物でしょ?」
……否定はしませんけど、成美さん…
どんどん哀しい方向に話が逸れていくのにいたたまれなくなって、修正したくないけど話を元に戻す。
「まあ、俺に似ているって言うのは今のところおいといて下さい。で、奈々子がなんで俺似らしいそいつをいい人だと判断したかが問題なんですが」
「ん?妙に丁寧に礼言ったとか」
「ああ、丁寧な礼なんだろうな。なんせ、『誰にも言わないでくれ』って、奈々子に5万渡したらしい」
「………5万?」
瞬間、ご隠居の眉がぐっと寄せられ、成美さんは口を噤み、金額を口にした哲平の声は低かった。
「ついでに言えば、郵便受けで俺の部屋番号調べてたところに声掛けたらしくて、『消される』とか『しくじった』とか言って、急いでどこかに走っていったって言ってた」
「…………」
「…………」
「…………」
居心地は悪いながらも、一応食卓は静かになって。
食べるのを再開した俺の、漬け物をかじる音だけが響いた。
「ま、よかったじゃない」
一番初めに復活したのは成美さんで。まあ、ご隠居も驚いてはいるけど、考えこんでいるだけみたいだし。
隣は、ちょっと怖くて見れない。
「何がですか」
いまいち、良かったことなんて思いつかないんだけど、と問い返す。
「あんた、一応5万以上は払ってもらえたのよ」
「そこですか!」
いくらなんでも安い。
「えー、だってあたしあんたに5万払う気起こらないんだけど」
しれっと言い放つ成美さんが、あまりに成美さんらしくて反論のしようもない。
「すみません、…ペンダントは」
「一応探してるけどー?」
「…お願いします」
ふう、と溜息をついて。
それから冷や奴にかけようと醤油を探す。
あ、あった。あったけど。
「哲平、ごめん。そこの醤油取って」
まだ固まってる哲平に声を掛けると、ぎぎぎと音がしそうなぎこちない動きでこっちを向いて。
「あ、ああ醤油な。ちょお待ち」
「うん、ごめん」
で、哲平が醤油に手を伸ばす。
伸ばして、止まった。
「って恭介!醤油どころやないやろ!」
あ、やっぱり来たか。
「哲平、頭に響くから隣で大声はやめてくれ」
「1号、うるさい」
「哲平、…食卓では静かにしなさい」
方々からつっこみが入るのに構わず、そのままのハイテンションで俺に向き直る。
「恭ちゃん、醤油どころやなくてな」
「何言ってるんだ哲平、醤油は大事だろ」
どう返したらいいのか分からなくて、何となく逃げてみる。
「仕方ないじゃない、哲平はソースの星から来たんだから」
成美さんがやる気無さそうに混ぜ返す。
「いくら哲平でも、俺の目の前で冷や奴にソース掛けたらベガだろうがイスカンダルだろうが強制送還しますよ」
「や、安心せい恭ちゃん、土産もってすぐ帰ってきたる…って違うわ!」
振られたネタには反応しちゃうんだなあ、としみじみ感心する。
感心してると、がっと肩を掴まれて哲平のほうに向き直らされる。
「なあ、つまりそれって」
「本当の本当に、『悪い人』だったんだろうな。奈々子がいなかったら、最悪命まで危なかったんじゃないかって思うよ」
哲平の言いかけたことを引き取ると、わかっていたこととはいえ、すぐ近くの顔が歪んだ。
「つまり、あんたに似てたのは偶然じゃなくて」
「…俺に似た『悪い人』をわざわざ雇ったんでしょうね。拉致するつもりか殺害するつもりだったかはわかりませんけど」
それを聞いて、ふうむ、とご隠居が顎をさすって考えこんだ。
「アリバイ工作か。まあ、あるだろうな。これで腕が良くて奈々子さんとやらに見つからねば本当に危なかったかもしれんのう」
「…そうなんですよね」
ぽつりと呟くと、哲平がひどく真剣にこっちを見ていて。
「そうなんですよね、て他人事やあらへん。恭介、威にかてつけ回されてるんやし」
ああ、あんまり聞きたくない名前が出たな。
これについても、触れたくなかったんだけど。
「ん、でも、この件に威はは絡んでないよ」
「断言出来るの」
「ええ、威はこんな『つまらない』時期にこんな『無様』な殺しかたはしないでしょう。まず、絶対にその場にいると思います」
あいつの思考がわかってしまう自分が嫌だと思う。
それでも、理解出来る範囲までは理解しておかなければならない。
「まあ、そうだろうなあ。殺し屋を使うにしても、前の事件から言って子飼いの腕利きがおるだろうて」
…ああ、そうだ。
子飼いの腕利きがいるだろう。
彼女のように、あいつを信じてついていく奴が。
胸の深いところが、鋭く痛んだ。
蘇りそうになった全てを、強く目を瞑ることによって振り払い、口を開く。
「だからまだ、俺はあいつには狙われてない。多分、あいつの作品の幕は開いてないから」
そう言うと、食卓は静まりかえったけど。
「つまり、アンタはそいつ以外にも狙われ始めたってこと?」
そう、そういうことになるんだよな。
「多分、友凛病院の件とか、結構裏がありそうですから」
今のところ、それしか思い当たらない。
それを結論とすると、食卓には沈黙が降りた。
「ご隠居、恭介、しばらくうちに住まわせたらあきませんか」
ひどく静かな声で、哲平が呟いた。
「ああ、それは構わ…」
「お断りします」
了承し掛けたのだろう、ご隠居の言葉を失礼だとはわかっていたが遮った。
「なんでや、恭介!ヤバいんわかっとるんやろ?」
向き直った哲平の顔は酷く必死で、どこかで見たことがあるような気がした。
ああ、エイジが死んだとき、ナイフを渡せっていった顔に似てるんだ。
でも。
「わかってるけど、俺は探偵で、これからもひとりで調査するし。ここにいる限り、どこにいたって同じだ」
どれだけ酷なことを言ってるかなんてわかっているけど、譲るわけにはいかない。
「じゃあ、…」
「遠羽も出ない。俺はここにいるよ」
今言っていることが、哲平にどれだけ酷かとはわかっていても。
「なんでや」
何でかといわれると困るけど、それは実際の危険と俺の意地。
実際の危険は、威。
きっと、ここで俺が後ろを見せたら威は躊躇い無く刺し殺すだろう。
でも、それは今言う事じゃない。
今、俺が此処で伝えなきゃいけないのは。
「…今更退けないって、言っただろ?」
「…恭ちゃんの阿呆」
「わかってるよ」
自分の保身より、譲れないものが出来た。変わらないでいるためには、まず逃げないで追うことだ。
彼女が見ていた俺は、多分きっとそうだった。
「…恭ちゃんのいけず」
「悪かったな」
頼りたい気持ちはあるけど、でも、ひとりで立てなくなるのはいやだから。
いつでも会うことができて、それでも離れていなきゃ、俺はいつか寄りかかっていることにすら気付かなくなる。
「…恭ちゃんの意地っ張り…」
そうだな、それは直したほうが長生き出来るんだろうけど。
「知ってただろ?」
「…知ってた。でもホンマ、恭ちゃん、危ないから」
「…うん、だから、頼りにしてるよ」
今ここで、そう言うのは狡いとわかっている。だけど、それは本当のことだし。
哲平は、その言葉を聞いて、痛いほど俺の肩を掴んでいた手を離す。
そしてこっち向いたまま、うなだれて頭をかきむしった。
「………おう、頼りにされたるわ」
そうして、我を通したことと、一番大きな危険を黙っていることに対して、ごめんな、そう心の中で手を合わせて。
すこしだけ伸びた細目の素麺に箸を伸ばす。
ふと視線を感じて顔を上げる。
成美さんが上手く丸め込んだわね、とでも言いたげなあきれ顔で、ご隠居は何とも言えない顔で苦笑していた。
どこまで見抜かれているのかはわからないけれど、曖昧に笑い返した。
きっと、此処にいる誰もごまかされてはくれてないんだろうけど。
ごまかされたふりをしてくれることに感謝しながら。
喪いたくないこの食卓を、噛みしめた。
fin.