俺がずっと立っていた場所が、お前には見えるか。
自分が今立たされている場所が、お前はわかっているのか。
足音
帰り際に買った弁当を、中身が混じるのにも構わず放り出す。
電気をつける気にもなれない。暗い部屋の中で、崩れるように座り込み壁にもたれた。
既に日付は変わっていて、警察に泊まり込まなかったのが奇跡なくらいだ。
公安の死体の発見ということで、色めき立ったキャリアが群がる。自分で勝ち得た地位でもない癖に、それを自分の力だと履き違えて。
俺は自分の力で正しく有るべき位置に昇り、馬鹿正直に生きるだけでは変えられない世界を変えるんだ。
そう、思っていた。
いや、思っている。今までも、これからも。
本棚から辞書を取り出す。
表紙を開けば、ページをくり抜いて箱のように加工してある。
その中の、黒い鉄。
無造作に取り出して、構える。
『お前下手なんだから』、か。
狙ったところ以外を撃ち抜けない人間が下手だっていうんなら、下手かも知れないけどな。
片腕を伸ばして、構える。
真っ直ぐに、買ってきたペットボトルの蓋に狙いを定めた。
首だけが吹っ飛んで、その勢いで倒れる瓶と零れ流れる中の緑茶まで、はっきりとイメージ出来る。
銃を下ろして溜息をつく。
組織でも優秀な方だろう。お前なんかにそう言われる筋合いは無い。
射撃の本当の腕なんて、お前が知る必要のないことだ。
お前が知らなくていいことだ。
知るときは、それは…。
自分が走る足音が聞こえる。
かつかつと、暢気なようで実は正確な間合いを刻む、いつもは隣で聞く足音。
後ろのほうから確かに俺を追うのが聞こえる。
そして、また別の方向から、迷っているようで確かに俺のところに近付く足音。
いつか、追うふたりが交わるのか。
追い付くことがないのか、その前に断ち切るのか。
お前に、俺の居場所が分かるか。
物思いに耽っている間に、冷め切ったまずそうな弁当。
せっかく温めさせたのに、これじゃあ却って不味い。
それでもな、お前の弁当だけはいらない。
お前みたいな、お人好しを見てるとどうしようもなく腹が立つ。
周囲に善良な人間ばかり集まり、お前が俺すらそれに含めて考えていることにも。
自分が異分子だということをより見せつけるようで。
京香さんをあの場に連れてきたことに、八つ当たり気味に文句をつけて。
…見当違いだったことは分かってる。
それでも、それを認めて頭を下げたことに、進退が窮まったような気さえ起こる。
あそこに、何かがあるわけがなかったんだ。
足がつくような隠し方がされてなければ。
殺した奴がいなければ。
俺が、殺していなければ。
あんな、ボロボロになるまで思い詰めていた京香さん。
俺の、組織がなければ。
鳴海誠司は失踪せず。
俺が、殺さなければ。
あんな勘違いはそもそも発生し得なかった。
全ての元凶のそばに俺がいると知ったら、あの人の瞳は、何を俺に告げるだろう。
善良なだけでは変えられないから、そんなもの溝に捨てて生きていくとあのとき誓った。
悔やむことなんてなかったはずだった。
善良なだけで生きていたら、結局苦しむのはそいつだ。
進むしかない、選んだときからそう知っている。
悔やむ端から、そんな感傷捨てて行けただろう。
そうしてきた。
結局、冷めた弁当を温め直すのはやめた。
どうしようもなく不味い。
固まった脂がまとわりつく。
不経済で不健康だってのはわかるさ。
そんなことより、気を遣うことがあるからな。
屋上へ向かう階段は、殊の外足音が響く。
さっき、受付で『お友達が見えてましたよ』と声を掛けられた。
その『お友達』はどこにいるのか。
どうして、氷室さんは屋上で話すのか。
俺自身の持ち物の、銃の在処を確かめる。
すぐに、抜いて撃ち抜ける。
反響する足音は、まるで誰かに追われる足音のようで。
やっとお前は追い付いたのかと、自然口元が歪んだ。
行き違った奴が、すれ違いざまに俺を見て、少し驚いたようだった。
交わった道に立って、ふたりで俺の居場所を探し当てただろう。
3人すれ違って、そのまま3人、一緒に並んで、前に進むことは決して無い。
このドアの向こうは、どちらかにとっての終わりの始まり。
そして、どちらかにとっての全ての終わり。
もう一度聞く。
俺の立っている場所が、見えるか。
俺と違う方法で、辿り着けるか、探偵。
…真神、恭介。
fin.
理解は出来ていないまま。
辿ってもわからないんですが、結局。
悼んでいるかどうかすら分からなくても。
出すのは今日しか、無いかなあって。